並木 (川越市)
並木 | |
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JR南古谷駅 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | 川越市 |
設置 | 1889年(明治22年)4月1日 |
人口 | |
• 合計 | 3,076[1]人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
350-0023 |
市外局番 | 049 |
ナンバープレート | 川越 |
並木(なみき)は、埼玉県川越市の大字。旧入間郡並木村。郵便番号は350-0023。
地理
川越市の東南部に位置し、北西部を大中居、北部を小中居、東部を久下戸、東南部を今泉、南部を木野目、西部を並木新町、泉町と接している。北部を東西にJR川越線が走り、西北部に南古谷駅が設置されている。また、埼玉県道113号川越新座線が東南から西北に走り、南古谷駅前交差点で埼玉県道335号並木川崎線と交差している。域内は水田の多い住宅地であるが[2]大規模小売店舗の進出などで並木新町、泉町と共に商業地化が進んでいる。
歴史
古くは古尾谷郷三芳野里に属した[3]。正保年間より松平伊豆守の所領であったが、1709年(宝永6年)には、本目讃岐守・河野長十郎の両名に分賜された[3]。1811年(文化8年)御料所となり、同年川越藩主・松平大和守の所領となった[3]。また、九十川縁と亀久保(現ふじみ野市亀久保付近)に新田、武蔵野新開の飛地を持ち、それぞれ1656年(明暦2年)、1694年(元禄7年)に検地を受けている[3]。この時代の小名として七段田、かつひやう、たいはいが挙げられる[3]。
明治時代に入って1889年(明治22年)4月1日の町村制施行に伴い、入間郡並木村連合戸長役場区域にあった並木村は同区域にあった牛子村・今泉村・南田島村・久下戸村・木野目村及び入間郡古市場村連合戸長役場区域にあった古市場村、澁井村と合併し南古谷村の大字のひとつとなった[4]。1876年(明治9年)の人口は210人[5]。1955年(昭和30年)4月1日、南古谷村は高階村・名細村・霞ヶ関村・山田村・古谷村・大東村・福原村と共に川越市に編入され、並木は川越市の大字のひとつとなった。1975年(昭和50年)5月17日、西北部のうち町名地番整理を行った場所のみを並木新町とし、大字並木は東西に分断された。この西側部分は並木字西田を除き1983年(昭和58年)3月2日に大中居・南田島・木野目の各一部と合併して並木西町となり、分断は大部分が解消された[6]。また残りの並木字西田も2004年(平成16年)2月21日木野目・南田島のそれぞれ一部と併せ藤木町となり、分断は完全に解消された[7]。
交通
鉄道
バス
道路
施設
- 川越税務署
- 川越南古谷団地
- 川越警察署南古谷駐在所
- 並木北田緑地
- 川越市東部地域ふれあいセンター
- JR東日本川越車両センター - 事務所部分が並木に当たる。その他の部分は久下戸。
- 埼玉県立川越高等技術専門校 - 公共職業能力開発施設。
- ベルク南古谷店
- 瀧岩院 - 天台宗の仏教寺院。雨寶山福寿寺と号する。本尊は立身の観音像で、恵心の作と言われる。古谷上郷灌頂院の末寺[3]。
脚注
- ^ 川越市 町字別・男女別人口と世帯数(川越市役所HP) 2015-04-18閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月。
- ^ a b c d e f 『新編武蔵風土記稿巻之百六十七』、「大日本地誌体系(八)新編武蔵風土記稿 第八巻」雄山閣、1957年9月再版所収。
- ^ 『埼玉大百科事典』第5巻、埼玉新聞社、1975年5月、p51。
- ^ 新編埼玉県史 別編5 統計 付録『町村編制区域表他』埼玉県、1981年3月。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1988年7月増補。
- ^ 旧新地番対照表(藤木町)-川越市役所HP(PDF)、2009-10-11閲覧。
関連項目
外部リンク
大中居 | 小中居 | |||
並木新町・泉町 | 久下戸 | |||
並木 | ||||
木野目 | 今泉 |