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ロシア連邦共産党

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ロシアの旗 ロシア政党
ロシア連邦共産党
Коммунистическая партия Российской Федерации
中央執行委員長 ゲンナジー・ジュガーノフ
成立年月日 1993年
本部所在地 モスクワ
国家院(国家会議)議席数
92 / 450   (20%)
政治的思想・立場 共産主義マルクス・レーニン主義
公式サイト Официальный сайт КПРФ
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ロシア連邦共産党(ロシアれんぽうきょうさんとう、ロシア語: Коммунистическая партия Российской Федерации, Kommunisticheskaja partija Rossijskoj Federatsiji英語: Communist Party of the Russian Federation)は、ロシア連邦共産主義政党エリツィンプーチンメドヴェージェフ各政権を通じて、野党の中心的存在として政権を批判してきた。党員は約50万人。党首はゲンナジー・ジュガーノフ中央執行委員長。

概要

ロシア連邦共産党は、ソ連共産党の崩壊の後を受けて、1993年ロシア共産党再建のため組織委員会が発足し、旧ソ連共産党の党員が結集したところから始まる。こうしてロシア連邦共産党が結成され党首にジュガーノフを選出した。同党は、エリツィン政権下でアナトリー・チュバイスエゴール・ガイダルらの主導によっておこなわれた経済改革(ショック療法)により生活を直撃された低所得者層の支持を獲得していった。ロシアの独自性を無視した急進的な資本主義市場経済の導入や、チェチェン紛争に対してエリツィン政権に批判を加えた。

1995年1月21日第3回党大会を開催し、新しい綱領を採択した。このロシア連邦共産党綱領は、ソ連共産党綱領を批判的継承した文書と評価される。長期的戦略目標としてロシアの直面している政治的、経済的危機の克服と社会主義体制復活の準備、社会主義体制への移行、社会主義の発展という三段階による「社会主義の復活」を掲げた。その中で当面は、第一段階に立脚し、議会の内外による活動を宣言し、人民代議員大会の復活、ソ連再建やショック療法、民営化の放棄などを謳った。

同時に党大会ではロシア連邦共産党のイデオロギー及び権力獲得の戦略を集約し、同党がボリシェヴィキ以来のソ連共産党の後継者であり、国際共産主義運動の経験に則り、勤労者の政党としての再生を図るとした。また、党歌にインターナショナルを、党章に槌と鎌に本を加えることを、スローガンには「ロシア、労働、人民権力、社会主義 Россия! Труд! Народовластие! Социализм!」をそれぞれ採択した。

1995年ロシア下院選挙では、エリツィン政権に対する不満を吸収し、157議席を獲得し第一党となった。続く1996年ロシア大統領選挙では、ジュガーノフは、カリスマ性が足りないと言われながらもエリツィンに善戦した。

1999年ロシア下院選挙でも第一党の座を維持するが、プーチン政権になって行われた2003年ロシア下院選挙では、反プーチンの立場を鮮明にしていた新興財閥である大手石油企業ユコス社から献金を受けていたことなどが暴露され、大幅に議席を失う。2007年ロシア下院選挙でも議席をほとんど増やせなかった。92議席増やしたプーチン政権の与党「統一ロシア」とは対照的である。

2007年の下院選の時点で既にプーチン政権および統一ロシアによる支配は確立されており、世界金融危機での政権支持率低下を以ってしても、共産党が政権を取ることは現在のロシアでは難しい情勢であるとの見方がある一方で、政権支持率の日を追うごとの低下で、再び共産党が脚光を浴びる可能性もあるとの見方もある。事実、2009年には、モスクワ北西部のトヴェリ市議会選挙で共産党が勝利しており、景気失速で共産党は支持を伸ばしつつある。

レーニン埋葬問題では一貫して保守の立場を取る。

2011年ロシア下院選挙では125万94232票(19.20%)を獲得し、92議席と議席を増やしたが第一党に返り咲くことは出来なかった。

スターリンの扱い

ロシア連邦共産党は「再スターリン化」を標榜し、宣伝看板にはソビエト連邦の独裁者であったスターリンの絵が大きく描かれている[1]。また、この党のモスクワ支部のサイトでもやはりスターリンを美化している絵が掲載されていた[2]ほか、党が運営する「スターリンの汚職防止委員会」というページがある[2]

フルシチョフによるスターリン批判以降のソ連共産党では、時期によってスターリンに対する批判の強弱はあるものの、このようにスターリンを前面に押し立てることはなかった。

脚注

関連項目

外部リンク


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