リュック・ムレ

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Luc Moullet
リュック・ムレ
リュック・ムレ
2008年、70歳のムレ
生年月日 (1937-10-14) 1937年10月14日(86歳)
出生地 フランスの旗 フランス パリ
職業 映画監督脚本家映画プロデューサー映画批評家
活動期間 1956年 -
活動内容 1956年 『カイエ・デュ・シネマ』批評家
1960年 短篇『焼け過ぎのステーキ』デビュー
1966年 長篇『ブリジットとブリジット』デビュー
著名な家族 パトリス・ムレ (弟)
主な作品
『ブリジットとブリジット』
『ビリー・ザ・キッドの冒険』
 
受賞
1979年 第29回ベルリン国際映画祭ニューシネマフォーラム部門インターフィルム賞
- Genèse d'un repas (1978年)
1988年 ジャン・ヴィゴ賞
- La Comédie du travail (1987年)
2001年 第54回カンヌ国際映画祭コダック短篇映画賞
- Le système Zsygmondy (2000年)
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リュック・ムレLuc Moullet1937年10月14日 - )は、フランス映画監督脚本家映画プロデューサーである。リュック・ムーレとも。ヌーヴェルヴァーグの映画作家である。

来歴・人物[編集]

1937年10月14日パリに生まれる。弟はジャン=リュック・ゴダール監督作『カラビニエ』(1963年)にミケランジュ役で出演した弟アルベール・ジュロス[1](その後、本名パトリス・ムレの名で活動し、短編および長編デビュー作以後の多くの作品に出演し、劇伴音楽の作曲をしている)。のちに1968年、パトリスと、同作でクレオパトル役のカトリーヌ・リベイロとともに、ロック・バンド「アルプス」を組んでいる。

カイエ・デュ・シネマ』誌の批評家としてデビューし(1956年)、そして1960年には最初の短編映画『焼け過ぎのステーキ』で演出家へと素早く転出した。2本の短編をつづけて撮り、1966年には初の長編映画『ブリジットとブリジット』を撮った。デビューから今日まで、ムレは30本の作品を撮り、かなりの数の短編を撮った。その全体が、笑いもバーレスクもなく切り取る、というひとつの特異な作品を構成している。

ムレは、その長編デビュー作『ブリジットとブリジット』がゴダールに「真に革命的な映画」と讃えられ、ジャン=マリー・ストローブには「ブニュエルタチの両方を継承する」とまで言われたヌーヴェルヴァーグの作家であるが、ただの1本たりとも日本で劇場公開されたものはない。『ブリジットとブリジット』『カップルの解剖学』等がホール上映される機会があったのみである。『ブリジットとブリジット』には、クロード・メルキジャン=ダニエル・ポレ『酔っぱらってりゃ…』(1957年)とおなじ「レオン」役で出演しており、クロード・シャブロルサミュエル・フラーエリック・ロメールら映画監督がそれぞれ役をもって出演している。『ビリー・ザ・キッドの冒険』はジャン=ピエール・レオ主演の西部劇であり、編集は『ママと娼婦』(1973年)の監督ジャン・ユスターシュであった。日本で本格的に紹介されるべき、知られざる作家のひとりである。

プロデューサーとして、マルグリット・デュラスの監督作『ナタリー・グランジェ』(1972年)などを製作した。

フィルモグラフィー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Albert Juross - IMDb(英語)の記述による。遠山純生編・細川晋著『ヌーヴェル・ヴァーグの時代 1958‐1963』(エスクァイアマガジンジャパン、1999年4月、ISBN 4872950615)P.180によれば、ジュロスは「従弟」であり有名な数学者であるとのこと。

関連文献[編集]

外部リンク[編集]