ラシャイダ人
رشايدة | |
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エリトリア低地部のラシャイダの子供 | |
総人口 | |
11万2千人 | |
居住地域 | |
サウジアラビア、クウェート、エリトリア、スーダン等 | |
言語 | |
アラビア語ヒジャーズ方言・ティグレ語 | |
宗教 | |
イスラム教スンニ派 | |
ラシャイダ人(ラシャイダじん、英語: Rashaida People、アラビア語: رشايدة)は、アラビア半島、東部アフリカの民族。
概要
ラシャイダ人は、ベドウィン族のうち紅海を挟んだアラビア半島とアフリカの両岸に居住した民族である、アラブ民族のバヌ・アブスから枝分かれしたとされる[1]。ラシャイダはアラビア語の一方言であるヒジャーズ方言を話している。また一部はティグレ語を話すこともできる[1]。ラシャイダ人は現在のエリトリアでは唯一の遊牧民的な習慣を維持している民族集団である[1]。1996年のエリトリア政府の統計によれば、エリトリア国内に居住するラシャイダ人の人口は76,000人であり、エリトリア国民全体の2.4%を占める[1]。
歴史
ラシャイダの一部はアラビア半島側に居住するが、一部はスーダン東部、エリトリアの北部海岸部及びダフラク諸島に居住している。このラシャイダ人は1846年にアラビア半島での戦乱を避けスーダン北東部からエリトリアにかけて移住した[1]。アフリカに移住したラシャイダはアラビア半島に居住していた時代の伝統的な衣服、文化、生活習慣及びイスラム教スンニ派の信仰を維持している[2]。 1951年以降エチオピアとの連邦および支配下に入った際にはラシャイダの遊牧の習慣がエチオピア軍を刺激し、たびたび衝突が起きた[1]。このため、エリトリア独立戦争の際にはラシャイダ人はエリトリア解放戦線(ELF)に協力した[1]。1990年代前半の独立以降エリトリア政府は遊牧の習慣があるラシャイダ人に対し、アスマラの北西35マイル離れたシェエブ付近に定住地を定め農業に従事し定住するように指導している[1][3]。しかしながらシェエブは本来の居住地から遠く、旧来の習慣から離れた農業従事による定住を選ばないラシャイダ人も多い。
文化
ラシャイダ人はベドウィンの遊牧民的習慣を維持して生活している。ヤギ革製のテントで起居し、ヤギや羊の牧畜及び宝石類の加工を生業としている場合が多い[1]。多くの者が文字が読めないため、牧畜に従事する者は飼育している動物の母系の系図をそれぞれについて8世代近くまで暗記する習慣を持つ[1]。ラシャイダの女性は赤と黒が特徴的な衣服を身に纏い、顔を覆うブルカを5歳以上になると身につける[1]。男女の自由な交際を認める文化がないため、結婚は多くの場合家族によって取りまとめられる[1]。結婚の準備が整った、あるいは結婚を求める女性は、自分が結婚を望んでいる男性に対してのみブルカを外してその顎を見せる[1]。結婚の際に花婿の家族は花嫁の家族にラクダ100頭を贈るしきたりになっている[1]。