ユージン・インジック
ユージン・インジック(Eugen Indjic, 1947年3月11日 - )は、ユーゴスラビア出身のピアノ奏者。[1][2][3]
ベオグラードの生まれ。父はペータル2世に仕えたセルビアの軍人で、母はロシア出身のアマチュアのピアニストだった。4歳の時にアメリカ合衆国に移住し、フレデリック・ショパンの幻想即興曲やポロネーズ集のレコードを聴いてピアノに興味を持ち、グルジア出身のピアニストであるリューボフ・ステファーニにピアノを学んだ。1955年に市民権を得、1958年にはNBCの放送に出演してピアノ演奏を披露している。1959年から1964年までアレクサンドル・ボロフスキーの下で研鑽を積んだが、1960年にはワシントン・ナショナル交響楽団と共演し、その翌年から10年間、アーサー・フィードラーの要請でボストン・ポップス・オーケストラに客演を重ねた。一方でレナード・バーンスタイン奨学金を得てハーバード大学に進学し、ローレンス・バーマンとレオン・キルヒナーにシェンカー理論等の音楽理論を学び、1969年に優等の成績で卒業している。1968年にはアルトゥール・ルービンシュタインと出会い、ルービンシュタインが亡くなるまで親交を深めた。1970年にはショパン国際ピアノコンクールで第4位、1972年にはリーズ国際ピアノ・コンクール第3位、1974年にはルービンシュタイン国際ピアノコンクールで第2位をそれぞれ獲得した。
インジックの演奏したショパンのマズルカ集の録音は、ジョイス・ハットーの演奏として名義を書き換えられて発売されたことがある[4]。