メアリー (グロスター=エディンバラ公爵夫人)

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メアリー王女、サー・ウィリアム・ビーチェイ画、1797年

メアリーThe Princess Mary, Duchess of Gloucester and Edinburgh, 1776年4月25日 バッキンガム宮殿ロンドン - 1857年4月30日 グロスターハウス、ロンドン)は、イギリスジョージ3世とその王妃シャーロットの間の第11子、四女。従兄のグロスター=エディンバラ公ウィリアム・フレデリックに嫁いだ。

メアリーは娘たちを手元から離したがらない両親のそばで、姉妹たちと一緒に生活を送った。メアリーはジョージ3世の6人の娘たちの中で最も美しい王女で、1796年頃にはロンドンに亡命中のオランダ総督・オラニエ公ウィレム5世の末息子フレデリック(1774年 - 1799年)と恋仲になった。しかしジョージ3世は娘たちは年齢順に結婚すべしと決めており、2人の結婚を許さなかった。1799年にフレデリックが従軍中に戦病死すると、メアリーは公に喪に服することを許可された。

1816年7月22日、メアリーは従兄のグロスター=エディンバラ公ウィリアム・フレデリックと結婚した。メアリーの長兄である摂政宮ジョージ王子(後のジョージ4世)はこの結婚に際し、ウィリアム・フレデリックの敬称を単なる「Highness」から「Royal Highness」に昇格させている。これは妻と夫の身分を対等にするための措置であった。

グロスター公爵夫妻はバグショット・パークで暮らし、メアリーは夫の死後はリッチモンド・パークのホワイトロッジに移った。公爵夫妻には子供が無かった。メアリーは姪のヴィクトリア女王には慕われていたという。また長兄のジョージ4世と非常に仲が良く、ジョージ4世と一緒になって彼の妻キャロライン・オブ・ブランズウィックを激しく嫌った。メアリーはジョージ3世の15人の子供たち(うち2人が夭折)の中で最も長生き(81歳)し、そして最も後まで生きていた。