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ムーゲン (アルスター王妃)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ムーゲン・エタンハイスレフ(?)(en:Mugain, アイルランド語: Mugain Etanchaithrech ingen Echach Feidlig)(発音。 古音: /Moógen Ait-en-hai-rech/ (Leahy)[1]; /moo-gan/ (Heaney[2])。現代音:/mũ:n/(Quiggin))。異綴りではムーウァン (?) (Mumain) とも表記されるが、近代発音は、いずれともムーアン
アルスター伝説の人物。コンホヴァル・マク・ネサ王の王妃。アイルランド上王エオハド・フェドラハの娘で、つまりはメイヴの姉妹。[3]

「コンホヴァルの娼婦妻」などとも評される[4]。つけられたあだ名は「ハリエニシダのごとき体毛[5] ("having gorse-like body hair"[6]) 、あるいは「ハリエニシダのような恥毛」の意[7] [8]

その名がムーウァン・エタンハイスレフ(?)(アイルランド語: Mumain ingen Echach Feidlig; 「エオハド・フェドラハの娘」)と表記される戦記ものによれば、コンホヴァル王と王妃の間には、グラスネ(?) (Glaisne)という王子をもうけている[9]これは現代でも男性につけられている名だが、グラスニー、グラシュネ、グラスニェなどと発音されるようである[10])。

王妃があらぬ姿を公衆にかざしたエピソードに次のようなものがある:少年時代のクーフリンが初勝負を終え、まだ興奮状態のままで王都 エヴァン・マハに帰参した。誰に危害をくわえるともわからないので、これを鎮めるため、コンホヴァル王の号令で、王妃ムーゲンが率いる女どもが丸裸でいっせいに出迎え、クーフリンは恥ずかしさのあまりにその興奮状態から醒めたという(『クアルンゲの牛捕り』の「クーフリンの少年時代の業績」』の章。[11])。

ムーゲンは後に、コンホヴァルお抱えの詩人であるアイド(現代音:アイ)(アイルランド語: Áed mac Ainninne)と同棲していたことが発覚する。この詩人は引っ立てられると、溺死による処刑を所望するが、歌の力であらゆる川や湖の水を引かせてみせ、しばらく死刑をまぬがれていた。しかしついに勇士ロイガレ・ブアダハの家前の湖で、力がおよばず溺れたのだ(『ロイガレ・ブアダハの最期』[12])。 ここでは、王妃にどういう沙汰が下ったのか不明である。しかし別の作品によれば、普段は婦女の命を奪うことを良しとしないアルスターの者どもが、王妃への愛情ゆえにこれを弑したと書かれている[13]

参考文献

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脚注

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  1. ^ 『フェルヴへの求婚』p.12, p.xxvi(参考文献)
  2. ^ Heaney, Over Nine Waves
  3. ^ 系譜は『ボイン川の戦い』(参考資料)に詳しい。
  4. ^ Mackillop, Dict. of Celt. Myth., Mugin(2), "Strumpet wife of Conchobar.."
  5. ^ caithir "hair (except that of the head), body-hair (DIL)"+aitenn "furze; gorse (DIL辞典)" (caithrech も参照)
  6. ^ en:Mugainの初稿10:29, 5 February 2005版 en:User:Nicknack009 (コミック画家 Paddy Brown) による
  7. ^ Meyer, Contribb. to Irish Lex. (1906), cathrech "(1) hairy about the pudenda"; aittenda "furzy"
  8. ^ R. Thurneysen (1921), p.93: '"Um König Conchobor,.., und als dessen Frau meist Mugain Aitenc(h)aithrech („mit den Ginster- Schamhaaren")'
  9. ^ Cath Boinde. O'Neill ed. tr.
  10. ^ /GLAS-nee/ /GLASH neh/ /GLAS nyeh/
  11. ^ TBC, "Boyhood Deeds of Cuchulainn", Kinsella tr., p.92
  12. ^ Aided Lóegairi (see primary sources)
  13. ^ "The host of Emania, the host of Ulster, Have never committed woman-slaughter, Excepting in the case of Mughain, through love of her, And the hateful, but illustrious Medhbh." (The Banquet of Dun na n-Gedhの挿入詩 O'Donovan 編訳 p.213)

事典など

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  • Mackillop, James, Dictionary of Celtic Mytholgy (1998)
  • Maier, Bernhard, Dictionary of Celtic Religion and Culture (Boydell 1997) [1]。ベルンハルト・マイヤー(鶴岡真弓監修、平島直一郎訳)『ケルト事典』 創元社 (2001)(邦訳)。
  • Mountain, Harry, The Celtic Encyclopedia 3, [books.google.co.jp/books?id=HhEUZs5yibUC&pg=PA646 pg.646-]

一次資料

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  • 『ボイン川の戦い』Joseph O'Neill, "Cath Boinde", Ériu 2 (1905), pp. 173-185
  • 『フェルヴへの求婚』[写本 LL; Eg. 1782 冒頭欠損]
    • Windisch 編訳(ドイツ訳) "Tochmarc Ferbe", Irische Texte III/2, 1897, pp. 445-556 books.google
    • Leahy, A. H. 英訳 The Courtship of Ferb, (ills. by Caroline Watts), David Nutt, London 1902 pp. XXXII + 102, (p.xxvi 発音ガイド、本文 p.12に登場)。Windisch よりの重訳。books.googleIArchive
  • 『クーフリンの少年時代』(前話だが、『クアルンゲの牛捕り』本編のひとつの章として組み込まれている)
    • (新訳) Kinsella, "Cúchulainn's Boyhood Deeds" の章 The Táin (1969),pp.76-92; 本文 p.92に登場

二次資料

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  • Thurneysen, R., Irische Helden- und Konigsage (Halle, 1921), 93
  • Quiggin, A Dialect of Donegal (1906) wikisource

p.23