ボーイズ対戦車ライフル
ボーイズ対戦車ライフル Mk I | |
概要 | |
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種類 | 対戦車ライフル |
製造国 | イギリス |
設計・製造 | ロイヤル・スモール・アームズ・ファクトリー |
性能 | |
口径 | 13.9mm |
銃身長 | 910mm |
使用弾薬 | 13.9x99mmB |
装弾数 | 5発 (箱型弾倉) |
作動方式 | ボルトアクション方式 |
全長 | 1.575m |
重量 | 16kg |
発射速度 | 毎分10発 |
銃口初速 | 747m/s |
有効射程 | 91m |
ボーイズ対戦車ライフル(ボーイズたいせんしゃライフル 英: Boys anti-tank rifle )は1937年にイギリス軍が採用したボルトアクション方式・5連発の対戦車ライフルである。
脱着可能な箱型弾倉を用いて銃上部から給弾する。全長1.575m、銃身長0.91m、重量は16kgと通常の小銃に比べると遥かに大きく重たい。一般的にはボーイズ対戦車ライフルと呼ばれるが、制式名称はRifle,Anti-tank,.55in,Boysである。
使用する弾薬は.55口径(13.9mm)弾で、薬莢底部が肉厚になっているベルティッドと呼ばれる、軍用弾ではあまり見られない薬莢形状の弾薬を用いる。衝撃緩衝装置が付けられたバイポッドと、銃口部にマズルブレーキを備え、さらに射撃時には銃身部全体が25mmほど後座して反動を受ける構造を持っていた。結果として.55弾の強烈な反動をかなり抑えているが、それでも射手に首や肩の痛みをもたらした。
通常の小銃と比較すると破壊力と貫通力があったので掩蔽壕や機銃座、非装甲車両などに対しても用いられ、ユニバーサル・キャリアにブレンガンの代わりに載せて限定的な対戦車能力を付する物もあった。
バリエーション
主に初期型のMK Iと後期型のMK IIの二種類があり、外見と使用する弾薬が異なる。異なる点を以下にまとめた。
- MK I (初期型) - T字型バイポッドと円形のマズルブレーキを備え、60gの徹甲弾を初速747m/sで発射する。
- MK II (後期型) - V字型バイポッドと長方形のマズルブレーキを備え、47.6gの徹甲弾を初速884m/sで発射する。
なお、徹甲弾はタングステン弾芯であった(貫通力の向上を狙い、初速945m/sで撃ち出すHVAP弾も開発されていたようである)。
概要
初期型のMkIは初速が747m/sと対戦車ライフルにしては初速が低い為に性能は優れたものではなかった。そこで銃弾を軽量化するなどして初速を向上させる改良が成され、後期型では70度の傾斜装甲に対して100ヤード(約90m)で20mmの貫通能力を持つようになった。だが、後期型が配備された頃には既にこのような性能では戦車に太刀打ちできなくなっていた。
各国の対戦車ライフルと同様、大戦初期の戦車に対しては有効であったものの、戦争が進むにつれて戦車の装甲が強化され対戦車兵器としての意義が薄れたこと、また対戦車ライフルより軽量で効果的なPIATが登場したことで、1943年に取って代わられる形で運用を終えた。しかし、装甲の薄い日本軍の戦車に対しては効果的であったため、太平洋戦線では対戦車兵器としての運用は大戦後期まで続いた。
使用国
- イギリス - イギリス陸軍で使用
- オーストラリア
- カナダ
- 中華民国 - 少数が実験的に狙撃銃として使用された
- フィンランド - 冬戦争と継続戦争において14 mm pst kiv/37として使用
- フランス
- ドイツ第三帝国 - ダンケルクの戦いにより撤退したイギリス陸軍海外派遣軍から鹵獲したものをPanzerbüchse Boyesとして使用
- アイルランド
- ルクセンブルク
- ニュージーランド
- フィリピン 第二次大戦中から戦後、1954年のフィリピン人民解放軍による反乱が集結するまで、フィリピン軍が使用
- アメリカ - アメリカ海兵隊がElephant Gun(象撃ち銃)の愛称をつけ使用
- ソビエト連邦 - レンドリース法によりアメリカから3200挺の提供を受けた[1]
出典
- ^ Zaloga & Leland Red Army Handbook 1939-1945 Sutton 1998 p197 ISBN 0750917407