ホーン岬
ホーン岬(英語 Cape Horn)またはオルノス岬(スペイン語 Cabo de Hornos)は、南アメリカ最南端、チリ最南端、ティエラ・デル・フエゴ最南端の岬である。
解説
ホーン岬は裸岩の断崖になっており、頂上の標高は424メートル。近海は流速の速いホーン岬海流が流れ、荒天が多く航海の難所である。国際水路機関 (IHO) により、岬を通過する経線が大西洋と太平洋の境界と定められている。 フエゴ島のさらに南のオルノス島にあり、ドレーク海峡に面している。
尚、南アメリカ大陸本土の最南端はホーン岬ではなくフロワード岬である。離島ではサウスサンドウィッチ諸島が更に南に位置する。
朝日放送が制作したかつての全国ネットクイズ番組『世界一周双六ゲーム』にて振り出しに戻る「ガックリ都市」によく選ばれたため、ホーン岬の名前だけは知っている人が少なからずいる(ちなみに同番組に登場する「都市」のうち、唯一実際には都市ではない場所である)。
歴史
1578年9月、フランシス・ドレークが、世界一周の途上で太平洋に到達するために、マゼラン海峡を通過していた。北に向かう前に、彼の船は嵐に遭遇し、ティエラ・デル・フエゴの南に流された。彼らが遭遇した開水域の拡大は、以前その存在が信じられていたフエゴ地帯が別大陸では無く、南側に開かれた島であることをドレークに推測させた。彼の船が既に知られていたマゼラン海峡を通過するまで、この発見は伏せられていた。
1600年代初頭、オランダ東インド会社がマゼラン海峡と喜望峰を経由するすべてのオランダ貿易を独占していて、当時は極東に向かうための知られていた唯一の経路であった。知られていなかったオーストラリア地帯(Terra Australis)への他の経路を探すために、1615年6月2隻の船でオランダ人ウィレム・スホーテン (nl:Willem Cornelisz Schouten) とヤコブ・ル・メール (nl:Jacob le Maire) がオランダから出航し、1616年1月26日にヨーロッパ人で最初にこの岬を回った。そして、スホーテンの生まれ故郷である町ホールンにちなみホールン岬(Kaap Hoorn)と名づけられた。