フリチョフ・バッケル=グロンダール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Tribot (会話 | 投稿記録) による 2019年3月20日 (水) 18:14個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (bot: WP:BOTREQ Special:PermaLink/72064813#Template:Persondataの廃止に伴う除去)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

フリチョフ・バッケル=グロンダール
Fridtjof Backer-Grøndahl
1905年
基本情報
生誕 1885年10月15日
 ノルウェー クリスチャニア
死没 (1959-06-21) 1959年6月21日(73歳没)
 ノルウェー オスロ
ジャンル クラシック
職業 ピアニスト作曲家

フリチョフ・バッケル=グロンダールFridtjof Backer-Grøndahl 1885年10月15日 - 1959年6月21日)は、ノルウェーピアニスト作曲家、音楽教師。

生涯

バッケル=グロンダールはクリスチャニア(現オスロ)に生まれた。父は指揮者、歌唱指導者のオラウス・アンドレアス・グロンダール、母はピアニストで作曲家のアガーテ・バッケル=グロンダールである。まず母から音楽の手ほどきを受け、18歳でコンサートデビューを飾った。ベルリン芸術大学に入学、エルンスト・ルドルフの薫陶を受ける。他にエルンスト・フォン・ドホナーニフランツ・クサヴァー・シャルヴェンカからも個人的に指導を受けていた。

同郷の作曲家であり母の友人でもあったエドヴァルド・グリーグピアノ協奏曲 イ短調に関しては詳細な研究を行った。1905年からドイツと周辺諸国を巡る演奏旅行に赴き、1906年アムステルダム1907年キールでは作曲者自身の指揮の下、この作品を演奏している。また、同作品の演奏に際してはヨハン・スヴェンセンとも共演している[1]

1920年から1930年にかけてはイギリスに居を構えてユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで教鞭を執るとともに、コンサートを催してレパートリーであった自らの母やグリーグなどのノルウェーの作品を演奏した他[1]ベートーヴェンショパンシューマンブラームスらの楽曲を取り上げた。

作曲家としてのバッケル=グロンダールはピアノ小品や歌曲集を作曲した。わずかながらグリーグの『抒情小曲集』の録音が遺されている。また、母の作品の録音も行っている。

1959年、73歳でオスロに没した。

主要作品

  • Op.1 3つのピアノ小品 (1903年4月)
  • Op.2 ピアノのためのエチュード ハ長調 (1905年)
  • Op.3 2つのピアノ小品 (1905年)
  • Op.4 Bryllupsvis (En Myrtekrans er skjøn at se) (1908年)
  • Op.6 2つのピアノ小品 (1908年)
  • Op.7 幻想曲集 (1908年)
  • Op.9 3つの性格的小品 (1910年)
  • Op.10 スペイン風の気分 (1910年)
  • Op.11 子どもの情景 (1916年)
  • Op.11と12 3つのピアノ小品 (1917年)
  • Op.13 気分 (1920年)
  • Op.14 3つの歌曲 (1931年)
  • Op.15 7つの歌曲 (1934年–1935年)
  • Op.16 7つの歌曲 (1937年)
  • Op.17 4つの歌曲 (1936年)
  • Op.18 3つの歌曲 (1940年)
  • Op.19 Kjærlighedshymne (1944年)
  • Op.20 3つのピアノ小品 (1945年)
  • Op.21 夢想 (1945年)
  • Op.22 スケルツォ ("Trykkfeilsdjevelen") (1946年)
  • クリスマスイヴ (1944年)
  • Julestemning (幸福なクリスマス) (1943年)
  • Norge i brand for Kristus (Norge i flammer) (1936年)

出典

  1. ^ a b Backer-Grøndahl, Fridtjof, Grove's Dictionary of Music and Musicians, 5th ed., 1954, Vol. I, p. 341

外部リンク