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フォルティ

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フォルティ
活動拠点 {{{活動拠点}}}
創設者 {{{創設者}}}
スタッフ {{{スタッフ}}}
ドライバー {{{ドライバー}}}
参戦年度 1995-1996
出走回数 27
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
優勝回数 0
通算獲得ポイント 0
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 1995年ブラジルGP
初勝利 -
最終勝利 -
最終戦 1996年イギリスGP
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フォルティForti)は、1995年から1996年F1に参戦していたイタリアのレーシングチームである。正式名称はフォルティ・コルセ。オーナーはグイド・フォルティ

歴史

そもそもはイタリアF3では4度のタイトルを取り、国際F3000にも参戦していたフォルティは、1995年に国際F3000のドライバー、ペドロ・ディニスとともにF1にステップアップしてきた。

ドライバーはディニスと3年ぶりにシートを獲得したロベルト・モレノだったが、実質的に資金力のあるディニスのワンマンチームであった。 シャシーはジョルジオ・スティラーノ設計のFG01、エンジンはフォード・コスワース・EDエンジンを搭載した。

FG01はかなり重いシャシーであったが、途中から加入したセルジオ・リンランドが豊富な資金力を活かし、積極的な改良を施した。 しかし、基本的に戦闘力、信頼性の低いシャシーであり、予選最高位はオーストラリアGPのモレノの20位、決勝最高位は同グランプリのディニスの7位とノーポイント、完走率は50%を切っていた。 改良パーツの使用はディニスに優先権があったためか、モレノはシーズンを通して苦戦を強いられた(改良パーツどころか、モレノのマシンそのものの優先権もディニスにあった)。

1996年、ディニスがリジェに移籍し、資金難に陥る。また、この年より107%ルールが施行された為、タイムアップの為のマシンアップデートもままならないほど同チームは苦戦を強いられた。 ドライバーはルカ・バドエルアンドレア・モンテルミーニ、エンジンはフォード・コスワース・EC ZETEC-Rを搭載し、シャシーは前年の改良型FG01B、フランスGPからジョージ・ライトン設計のFG03を投入したが戦闘力の低さは相変わらずだった。 シーズン途中、シャノンという会社から大規模なスポンサードを受けることになり、チームの財政状況が改善されると思われたが、スポンサーフィーは支払われず、コスワースへのエンジン代金の支払いが滞った。 その結果、第10戦イギリスGPを2人揃って予選落ちした後、エンジン供給を止められてしまい、シーズン半ばに撤退を強いられた。 二人そろっての予選落ちはここまでで4回、完走はたった3回と低かった。

フォルティ・コルセFG01・フォード(1995年)

エピソード

  • デビューシーズンに投入したFG01は、ギアボックスが6速マニュアルシフト、パワステもなしという時代遅れのマシンで、当初ウェイトは規定最低重量を80kg以上も上回っていたと言われる。モンツァで行ったテストでは、トップスピードがF3000のマシンより6キロも遅かった。さらにエンジンも最高で1万3000回転しか回らず、ブレーキング時には車が派手にバンプしていた。
  • F1へのステップアップのきっかけは、ブラジル屈指のスーパーマーケットチェーン“ポン・デ・アスカール(Pão de açucar)”などを傘下に持ち、数々の事業を展開する企業グループの総帥として知られる、ブラジルでも有数の実業家アビーリオ・ディニスが、自分の息子をF1ドライバーにするために取引先のブラジル企業をスポンサーとして大挙投入したことによるものである。言い換えれば、「息子のためにチームごとF1へ送り込んだ」ものとも言える。
  • F1へのステップアップが上記のような背景によるものであったため、新規参入チームとしては異例の予算規模を持つチームであった。しかし、潤沢な資金の元はブラジルマネーであったため、ディニスの去就いかんで一気に資金難に陥る危険性を秘めたチームでもあった。そしてその心配通り、翌年ディニスのリジェ移籍に伴って持ち込みスポンサーを引き上げたため、見事なまでに資金難に陥り撤退を余儀なくされるのであった。
  • 1995年シーズンのドライバーラインナップは、ディニス/モレノのブラジル人コンビとなったが、この布陣を『裕福なブラジル人が貧乏なブラジル人を雇っている』かの見方をするメディアも少なくなかった。これはチーム体制的にも、新人であり経験も速さも無いディニスがNO.1で、ベテランのモレノが完全なNO.2扱いとされるなど、エグイほどの序列が敷かれていたことも起因するものと思われる。

関連項目

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