ディスコ・デモリッション・ナイト

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ディスコ・デモリッション・ナイト(英:Disco Demolition Night)は、アメリカメジャーリーグにおいて、1979年7月12日に予定されていたデトロイト・タイガースシカゴ・ホワイトソックスダブルヘッダー第2試合が、没収試合となった出来事のこと。当時シカゴのラジオ局が発案した、『ディスコミュージックをぶっとばせ』という集客イベントで観衆が暴動まがいの騒ぎを起こし、ダブルヘッダー第2試合が始められずホワイトソックスの放棄試合となった。

背景

イベントは、当時地元シカゴのラジオ放送局WLUPのディスクジョッキーをしていたスティーブ・ダールと、パートナーのギャリー・マイヤーが発案したもので、彼らのアイデアによるWLUPラジオのプロモーションを、シカゴ・ホワイトソックスの球団幹部だったマイク・ベックビル・ベックの息子)らに持ちかけて計画された。聞かなくなったディスコミュージックのLPレコードを持ってきた人の入場料を98セントに設定し、集めたレコードをダールが観衆の目の前で『爆破』する、というイベントだった。

ダールは大のディスコ嫌いで、当時ディスコ一色だったもう一つの地元ラジオ局WDAIを解雇され、WLUPに移籍した経歴があり、自身も当時大ヒットしたロッド・スチュワートのディスコチューンである、"Da Ya Think I'm Sexy?"(邦題:アイム・セクシー)のパロディを録音したりと様々な『反ディスコ活動』を行っていた。

一方で、タイガース対ホワイトソックスのカードは、この年の5月2日の試合が雨で中止になり、オールスターゲーム直前の同カード4連戦の日程に振り替えられ、イベントを予定していた日がダブルヘッダーとなる変則5連戦の試合日程が組まれていた。

試合の経過と結果

試合結果

表中のR得点H安打E失策を示す。日付は現地時間。

  • ダブルヘッダー第1試合
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
タイガース 1 1 1 0 0 1 0 0 0 4 9 0
ホワイトソックス 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 5 2
  1. パット・アンダーウッド  フレッド・ハワード  Sアウレリオ・ロペス  
  2. 本塁打
    DET:なし
    CWS:なし
  3. 試合時間: 2時間35分、観客動員数: 47,795人、主審: デーブ・フィリップス、塁審: ダン・モリソンダラス・パークスダーウッド・メリル
  • ダブルヘッダー第2試合
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
タイガース - - - - - - - - - 0 - -
ホワイトソックス - - - - - - - - - 0 - -
  1. :-  :-  
  2. ※没収試合となりタイガースが勝利

経過

ホワイトソックスの幹部は、このイベントによる観客の増加を5,000人程度と見込んでいたが、イベント当日に集まった群衆は75,000人を超えていた。収容能力を超えた球場は入り口を封鎖され、中に入れない何千人もの人がコミスキー・パークの壁やフェンスをよじ登ろうとしていた。明らかにホワイトソックスの試合に関心がないと思われる人々も、多数球場の廻りをうろつき、周囲はマリファナの臭いさえしたという。

ダブルヘッダーの第1試合は予定通り行われたが、集めたレコードをいれるための木箱がすぐ一杯になり、球団関係者がレコードを集めるのをやめると、観客がスタンドからLPレコードや花火を投げ入れ始めた。試合は先制したタイガースに対しホワイトソックスは反撃らしい反撃もできず、タイガースの先発パット・アンダーウッドらに5安打1点に抑えられてあっけなく敗れた。

第1試合終了後、あふれんばかりのレコードが入った木箱がセンター付近に置かれた。そこへ軍服を着てヘルメットを被り、ローレライと名乗る女性とボディガードを引き連れたスティーブ・ダールが登場。ほどなく爆弾が仕掛けられて、大きな音とともに木箱は爆破され、その際外野の芝生にも大きな穴が開いてしまった。

爆破の直後、スタンドから何千人もの観客がフィールドに乱入する。持ってきた横断幕に火をつけて騒ぎ出すものが何人も現れ、球場のバッティングケージは破壊され、内野のベースが盗まれた。球団幹部のベックらは拡声器を使って、観客にフィールドの外に出るよう幾度も訴えたが、結局騒ぎはシカゴ市警察の機動隊によって鎮圧される。予定の時間までに開始できなかった第2試合は球審の判断で一旦順延とされたが、後日リーグ会長リー・マクフェイルの裁定で没収試合となり、グラウンドから避難していたタイガースに勝ちがついた。

事件後

この事件で6人が軽症を負い、計39人の逮捕者が出た。翌日以後の試合は予定通り行われたが、グラウンドの状態は最悪だったという。球団幹部のマイク・ベックは、しばらくの間メジャーリーグ機構のブラックリストに名前が載った。また当時ホワイトソックスの外野手だったラスティ・トーレスにとっては、この試合は自らが立ち会った3試合目の没収試合になった。彼は1974年にクリーブランドで起きた「10セント・ビア・ナイト」の時にはクリーブランド・インディアンズの選手だった。

関連項目

外部リンク