ソウル迎恩門柱礎
ソウル迎恩門柱礎 (大韓民国指定史跡指定名称:서울 영은문 주초) | |
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各種表記 | |
ハングル: | 서울 영은문 주초 |
漢字: | 서울 迎恩門 柱礎 |
ローマ字: | Plinths of Yeongeunmun Gate, Seoul |
ソウル迎恩門柱礎(そうるげいおんもんちゅうそ)は、李氏朝鮮時代に、朝鮮王が三跪九叩頭の礼によって中国皇帝の使者を迎えた門である迎恩門の礎石である[1]。1963年1月21日、大韓民国指定史跡第33号に指定されている[1]。
概要
ソウル西部には、迎恩門と呼ばれる、中国の勅使を迎えるための門があった[2]。朝鮮王は中国の勅使がやって来る時、自ら迎恩門にまで出向き、三跪九叩頭の礼で迎えた[2]。中国による朝鮮支配は長く続いたが、1894年の日清戦争で、日本が清王朝と戦い、勝利する。翌年、下関条約により、清王朝が朝鮮の独立を承認する[2]。1897年、独立した朝鮮は「大韓帝国」と国号を名乗る。「韓」は王を意味する雅語で、古代において、三韓にも使われていた。朝鮮王は皇帝となり、「殿下」ではなく、「陛下」と呼ばれるようになる。当時の朝鮮人はこれを非常に喜び、中国への隷属の象徴であった迎恩門を取り壊し、新しい門を同じ場所に建てた。すなわち、ソウル西部の西大門広場に今も残る「独立門」である[2]。そして、中国への隷属の象徴であった迎恩門を取り壊す際に、屈辱を忘れないために、2本の迎恩門柱礎だけを残した[2]。