コンテンツにスキップ

シウタデリャ・デ・メノルカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Luckas-bot (会話 | 投稿記録) による 2011年5月20日 (金) 09:01個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (r2.7.1) (ロボットによる 追加: no:Ciutadella de Menorca)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

'Ciutadella de Menorca'

  


 バレアレス諸島州
 バレアレス諸島県
面積 186.34km²
標高 24m
人口 29,160人(2009年)
人口密度 156.49人/km²
住民の呼称 ciudadelano/a

ciutadellenc/a



北緯40度01分0秒 東経03度49分 / 北緯40.01667度 東経3.817度 / 40.01667; 3.817{{#coordinates:}} 関数に無効な引数が渡されました

シウタデリャ・デ・メノルカカタルーニャ語:Ciutadella de Menorcaスペイン語:Ciutadela)は、スペインバレアレス諸島の自治体。メノルカ島西部にあり、メノルカ司教座が置かれている。

歴史

様々な時代、様々な民族から、Jamma、Nura、Minerva、Iamo、Iamona、Medina Minurkaと違った名前で呼ばれてきた。現在の名前になったのは、アラゴンアルフォンソ3世軍に占領され、ヨーロッパの文化圏に組み入れられてからである。現在の名はラテン語のcivitatellaから派生したものだとされる。しかしこのシウタデリャという名称は、レコンキスタ以前から、ローマの影響を受けたメノルカのモサラベたちの間で生じていた。

1558年にオスマン帝国の艦隊がシウタデリャを攻撃し、住民の一部がイスタンブルへ連れ去られた。この年からゆっくりと町は再建されたが、1646年には黒死病の流行に見舞われた。スペイン継承戦争中の1708年にイギリスが侵攻し、ユトレヒト条約でイギリスのメノルカ支配が認められた。70年あまりの占領下で、メノルカ島中心都市の地位をマオーに奪われ、衰退していった。

スペイン内戦ではシウタデリャはスペイン第二共和政に忠誠を示した。1939年のメノルカの戦いでフランコ軍がシウタデリャを押さえ、マオーの共和国軍と対峙した。

気候

典型的な地中海性気候で、夏暑く、冬は温暖でさわやかである。年間平均気温は15℃、最高気温は夏の35℃、最低気温は冬の4℃である。年間降雨量が約600mmある。島の西部に位置するため冬期の風が激しく、時には1時間で110kmの風が吹く。

姉妹都市

外部リンク