ガイ・リッチー

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ガイ・リッチー
Guy Ritchie
Guy Ritchie
2017年
本名 Guy Stuart Ritchie
生年月日 (1968-09-10) 1968年9月10日(55歳)
出生地 イングランドの旗 イングランド
ハートフォードシャーハットフィールド
国籍 イギリスの旗 イギリス
職業 映画監督
配偶者 マドンナ(2000-2008)
主な作品
ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ
スナッチ
シャーロック・ホームズ』シリーズ
コードネーム U.N.C.L.E.
アラジン
 
受賞
東京国際映画祭
最優秀監督賞
1998年ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ
MTVムービー・アワード
新人監督賞
1999年『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』
ゴールデンラズベリー賞
最低監督賞
2002年スウェプト・アウェイ
その他の賞
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ガイ・リッチーGuy Ritchie, 本名: Guy Stuart Ritchie, 1968年9月10日 - )は、イギリス映画監督脚本家

来歴

生い立ち

ハートフォードシャーハットフィールド出身。準男爵の爵位を持つマイケル・レイトンの継息子であり、イングランド王エドワード1世の末裔にあたる。にもかかわらず、コックニー(ロンドンの下町訛り)で喋る為、モックニー(偽りのコクニー)との指摘がされている。

子供の頃見た『明日に向って撃て!』に影響を受けて映画監督を目指すようになったという。15歳で学校を辞め(幼少期より読字障害のため[1]、勉強が困難であったと自身で言及している)、映画学校には行かず雑用係として映画スタジオで働くようになる。

キャリア

映画スタジオに働き出してすぐにその才能を発揮し、コマーシャルやミュージック・ビデオを手がけるようになる。

1995年に初めての短編映画『The Hard Case』を制作。続いて監督した群像劇『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』がヒット、注目されるようになる。英国の映画興行収入では第1位を獲得。続く『スナッチ』でも賞賛を浴びた。いずれも緻密な脚本によって構成された群像劇である。

2002年に当時の妻である歌手マドンナの主演でリナ・ウェルトミューラー監督の『流されて…』をリメイクした『スウェプト・アウェイ』を監督したが全くヒットせず、夫婦揃ってゴールデンラズベリー賞を受賞してしまった。

2004年8月31日、ゼネラルモーターズシボレー・コルベットの新コマーシャルが、消費者団体、安全団体の抗議を受け放送中止。このCMは少年が夢の中でコルベットを運転する内容だった。後に監督したBMW・M5のCMも、主演するマドンナがシートベルトをしていないとの抗議を受けて放送中止になった。

2009年にロバート・ダウニー・Jrジュード・ロウを主演に迎えた『シャーロック・ホームズ』が公開。これまでで最も興行的に成功した作品となった。2011年にはその続編の『シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム』が公開された。

また『トップ・ギア』に出演した際に、昔は引越し屋を個人経営していたと発言した(1千ポンドのテーブルを壊して持ち主に「もっとクリエイティブになろう」と言い訳して映画監督になったと冗談めかして語っていた)。

私生活

元妻のマドンナ

2000年11月22日にアメリカの歌手マドンナと結婚。スコットランドの城で挙式。二人の間には2000年8月に誕生した息子のRoccoがいる。2008年11月21日に離婚[2]

2011年、ガールフレンドでモデルのジャッキー・アシュリーとの間に息子が生まれた[3]。2人は2012年10月に婚約し[4]、同年11月には娘が生まれている[5]

7歳の時に空手を始めた。柔道では黒帯[6] を、ブラジリアン柔術でも黒帯[7] を所持している。チェルシーFCのファン[8]

作品

長編監督作品

※『キング・アーサー』の邦題は当初『キング・アーサー 聖剣無双』だったが諸般の事情により変更された。

製作のみ

短編監督作品

  • The Hard Case (1995) 監督・脚本
  • The Hire: Star (2001) 監督
  • Suspect (2007) 監督

参照

外部リンク