オーストリア北部鉄道
オーストリア北部鉄道(―ほくぶてつどう。独語;Österreichische Nordbahn、英称;Austrian Northern Railway)とは、オーストリア帝国最初の蒸気機関鉄道であり、のちに現在に続くオーストリア連邦鉄道の鉄道線のひとつである。
ボヘミア(チェコ)方面へ延伸され工業地帯も通る主要路線として性格があった。しかし同時にウィーンに塩を供給する為の路線としての一面もあり、プロイセン(のちにドイツ)のオシフィエンチムを経由してクラクフ、ボフニアまで通じていた。
ザーロモン・マイアー・フォン・ロートシルト(マイアー・アムシェル・ロートシルトの息子で、オーストリアにおけるロスチャイルド財閥の祖)の出資によって、カイザー・フェルディナント・北部鉄道 (KFNB,Kaiser-Ferdinands-Nordbahn)という名で開通した。これは皇帝(カイザー)フェルディナントから取られている。最初の区間が開通したのは1837年のことで、ウィーン市内北部のフロリツドルフ駅からウィーン北部に位置するニーダーエスターライヒ州ドイチュ・ヴァグラム駅までである。
1907年の国有化の際は、関連企業が所有するオストラヴァ周辺の多数の炭鉱や工業企業も共に国有化された。
起点駅のウィーン北駅は第二次世界大戦の戦災でドナウ川の橋梁と共に破壊され、1962年に再建された。現在においてその駅は、ブルノ行き急行列車の発着と引き通し線としての役割のみで、列車のほとんどはウィーン南駅から発着している。
年表
- フロリツドルフ―ドイチュ・ワグラム開通(1837年)
- ウィーン北―ゲンゼルンドルフ開通(1838年)
- ゲンゼルンドルフ―ブジェツラフ開通(1839年)。チェコ発の鉄道となる。
- ブヅェツラフ―ブルノ開通(同年)
- ブヅェツラフ―ホドニーン―プラハ旧市街―プシェロフ開通(1841年)
- プシェロフ―オモロウツ開通(同年)
- プシェロフ―ライプニック開通(1842年)
- ライプニック―フラニツェ・ナ・モラヴィェ―オストラヴァ―ボフミン開通(1847年)
- ボフミン―チェコ・ポーランド国境開通(1848年)
- オストラヴァ―オパヴァ開通(1855年)
- ボフミン―カルヴィネ―オシフィエンチム(1855年)
- オシフィエンチム―クラクフ(1856)
- 国有化(1907年)