ザーロモン・マイアー・フォン・ロートシルト

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ザーロモン・マイアー・フォン・ロートシルト

ザーロモン・マイアー・フォン・ロートシルト(Salomon Mayer von Rothschild 1774年9月9日-1855年7月28日)はフランクフルト出身のオーストリア帝国の銀行家。オーストリアのロスチャイルド財閥創始者。

マイアー・アムシェル・ロートシルトの次男として生まれた彼は1800年に結婚、2児をもうけた。父親がヨーロッパの主な商業都市に作ろうとした家族銀行帝国を担うため、1817年に弟ジャコブ・マイエール・ド・ロチルドがパリで銀行を設立した。1818年アーヘン会議でザーロモンとカルマンが名声を高め、オーストリア宰相のメッテルニヒが多額の融資をロスチャイルド家から受けた。そのためメッテルニヒを顎で使っていたことは存命中から有名であった。1820年にザーロモンはウィーンに銀行を開いた。

1835年、フェルディナントが皇帝に即位すると鉄道建設プロジェクトの請願を出した。この鉄道の名前をカイザー・フェルディナント・北部鉄道英語版 (現オーストリア北部鉄道)と名付けることにより、皇帝の自尊心をくすぐり建設にこぎつけ、オーストリアの鉄道王としても知られるようになった。

また彼はオーストリア・ロイド英語版というの汽船会社の発起人となったり、1843年にはスレスコ地方(現チェコモラヴィア・スレスコ州ヴィトコヴィッツ英語版にあるヴィトコヴィッツ製鉄所英語版を独占所有した。

このようにして、元々は銀行家であった彼は産業資本家としての一面を側面を持つに至った。

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