エキスポタワー

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エキスポタワー
情報
用途 展望台、電波塔
設計者 菊竹清訓
管理運営 日本万国博覧会協会
構造形式 鉄骨造
階数 14階建て
高さ 127m
着工 1968年7月
竣工 1970年2月
開館開所 1970年3月14日開館
1990年9月30日閉館
2003年3月解体完了
所在地 大阪府吹田市千里万博公園
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エキスポタワー (Expo Tower) は、大阪府吹田市万博記念公園にかつて存在した高さ127メートルの展望塔である。1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博)のランドマークタワーとして建設された。建設費約8億円。

老朽化が激しく、2002年8月から2003年3月にかけて解体・撤去された。

エキスポタワーは、シンボルタワーとして日本万国博覧会協会が建てたが、万博開幕から解体まで、エキスポランドの付帯施設となっていた(そのため施設番号は、800番台(エキスポランド施設)だった)。

特徴

日本庭園入口を北端に、万博美術館・お祭り広場・太陽の塔・万国博協会ビルと、会場内を南北に伸びる都市軸(シンボルゾーン)の南端部に位置する。建築家・菊竹清訓による当初の設計案では4本柱を使用した300mを越す高さも予定されていたが、予算等の関係で3本柱で127mの高さに落ち着いた。1970年の万博開催当時はタワー全体が銀色に塗装されていたが、閉幕後、赤と白に塗り替えられた。万博会期中は入場者は、エキスポランドの乗り物とは異なり別料金を支払うことなく入場できた。

万博閉幕後は1972年3月15日のエキスポランドの再開園と共にエキスポランドのアトラクションのひとつとして有料で塔に登ることができたが、訪れる人は少なく、1990年9月30日をもって展望塔としての営業を終了し塔は閉鎖された(解体まで、ほぼ放置状態)。

万博当時は、展望塔と万博会場内全体の無線通信の中継アンテナとして、万博閉幕後は、携帯電話のアンテナとしても使われていた。

三角形に立てられた垂直に伸びる3本の主柱に当時の未来の住居モデルであった多面体のキャビン(展望室)が設置された、斬新なデザインのタワーで、3本の主柱の真ん中にはエレベーターがあった。しかしそのエレベーターには囲いが無く、雨水が入り放題で傷みやすかった。

その他

1970年2月4日NHKにて放送されたドキュメンタリー「ある人生 万博とび頭」ではエキスポタワーの建設を通して、その建設を担った鳶職の生き方が描かれた。[1]

アニメとある科学の超電磁砲」第15話に、エキスポタワーが登場する。

関連項目

脚注

  1. ^ ある人生 万博とび頭 - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス

外部リンク

座標: 北緯34度48分13.7秒 東経135度31分56.6秒 / 北緯34.803806度 東経135.532389度 / 34.803806; 135.532389