アストリッド・リンドグレーン
アストリッド・リンドグレーン Astrid Lindgren | |
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(1924年) | |
誕生 | 1907年11月14日 |
死没 | 2002年1月28日(94歳没) |
職業 | 児童書編集者・児童文学作家 |
国籍 | スウェーデン |
ジャンル | 児童文学 |
代表作 | 長くつ下のピッピ |
主な受賞歴 | ドイツ出版協会平和賞(1978) |
ウィキポータル 文学 |
アストリッド・リンドグレーン(Astrid Lindgren, 1907年11月14日 - 2002年1月28日)は、スウェーデンの児童書の編集者で、同時に児童文学作家でもある。彼女の著書は、世界の70か国語以上に翻訳され、100以上の国で出版されている。
解説
スウェーデンの南東部のヴィンメルビューで生まれた。小さな牧場で家族と共に過ごした子供時代の経験が作品の下敷きになっている。10代の時、晩年のエレン・ケイに会い、影響を受けたという。その後、教師や事務員をする傍ら執筆活動を始め、1945年、『長くつ下のピッピ』(Pippi Långstrump)を執筆、これが彼女の世界的な名声の出発点となった。もともとこれは、彼女の小さかった娘カーリンのために考え出されたものだという。
リンドグレーンは子どもの権利や動物の権利の擁護者としても知られ、あらゆる虐待に反対の立場を表明している。1993年、ライト・ライブリフッド財団(1980年にヤコブ・フォン・エックスキュールが創設)から、財団賞を受けた。1958年には青少年のための文学作品に与えられる国際アンデルセン賞も受賞している。
リンドグレーンの作品は、スウェーデンの豊かな自然に囲まれた子供達の姿を描いたものから、少年探偵が活躍する推理もの、幻想的なファンタジーなど幅広く、『長くつ下のピッピ』『やかまし村の子どもたち』『ロッタちゃん』などはテレビ・映画化もされている。
2002年に、スウェーデン政府がリンドグレーンを記念して、児童青少年文学賞である「アストリッド・リンドグレーン記念文学賞」を創設した。2005年に絵本作家・荒井良二が日本人初の受賞となった。
『長くつ下のピッピ』シリーズは全世界で1億3000万部以上を売った。1970年代に宮崎駿がピッピのアニメ化を企画し、打診したが断られた[1](宮崎自身がリンドグレーンに直接頼むつもりでスウェーデンに行ったが会えなかった)。代わりに、宮崎の息子・宮崎吾朗が2014年に『山賊のむすめローニャ』をテレビアニメ化した。
「やかまし村」はイェータランド・スモーランド地方の様子を基にしたものであるという。
スモーランド地方の町ヴィンメルビーには、リンドグレーンが生まれ育った1900年代初頭の村を再現したテーマパーク「アストリッド・リンドグレーン・ワールド(Astrid Lindgren Värld)がある[2]。
リンドグレーンの作品
シリーズ作品
- 長くつ下のピッピ(Pippi Långstrump )シリーズ 1945年開始
- やかまし村の子どもたち(Alla vi barn i Bullerbyn )シリーズ 1947年開始
- やねの上のカールソン(Lillebror och Karlsson på taket )シリーズ 1949年開始
- やねの上のカールソン
- やねの上のカールソン とびまわる
- やねの上のカールソンだいかつやく
- 名探偵カッレくん(Mästerdetektiven Blomkvist )シリーズ 1957年開始
- ちいさいロッタちゃん(Barnen på Bråkmakargatan )シリーズ 1958年開始
- おもしろ荘の子どもたち(Madicken ) シリーズ 1960年開始
- エーミル(Emil i Lönneberga )シリーズ 1963年開始
独立ストーリー
- ミオよ、わたしのミオ(Mio min Mio )1954年
- さすらいの孤児ラスムス(Rasmus på luffen )1956年
- 小さいきょうだい-四つのものがたり(Sunnanäng )[短編集]1959年
- 小さいきょうだい
- ボダイジュがかなでるとき
- カペラのひつじ
- 公子エーカのニルス
- わたしたちの島で(Vi på Saltkråkan )1964年
- はるかな国の兄弟(Bröderna Lejonhjärta )1973年
- 山賊のむすめローニャ(Ronja rövardotter ) 1981年
岩波書店版 リンドグレーン作品集
尾崎義・大塚勇三・石井登志子 訳
- 長くつ下のピッピ (1964年)
- ピッピ船にのる (1965年)
- ピッピ南の島へ (1965年)
- やかまし村の子どもたち (1965年)
- やかまし村の春・夏・秋・冬 (1965年)
- やかまし村はいつもにぎやか (1965年)
- やねの上のカールソン (1965年)
- 名探偵カッレ君 (1965年)
- カッレ君の冒険 (1965年)
- 名探偵カッレとスパイ団 (1965年)
- さすらいの孤児ラスムス (1965年)
- ラスムスくん英雄になる (1965年)
- ミオよ、わたしのミオ (1967年)
- 小さいきょうだい (1969年)
- わたしたちの島で (1970年)
- 親指こぞうニルス・カールソン (1974年)
- やねの上のカールソンとびまわる (1975年)
- はるかな国の兄弟 (1976年)
- 山賊のむすめローニャ (1982年)
- おもしろ荘の子どもたち (1987年)
- 川のほとりのおもしろ荘 (1988年)
- やねの上のカールソンだいかつやく (2007年)
- カイサとおばあちゃん (2008年)
なお、『長くつ下のピッピ』『やかまし村』『名探偵カッレ君』各シリーズ同様、『やねの上のカールソン』も3部作であるが、3作目「やねの上のカールソンだいかつやく」のみ2007年まで日本語訳が刊行されなかった(「―とびまわる」の後書きに、翻訳者によって3作目のあらすじが紹介されている)。『小さいきょうだい』『親指こぞうニルス・カールソン』『カイサとおばあちゃん』は短編集。
写真絵本『エヴァ、ノリコさんに会う』
1956年に、スウェーデンの女性写真家、アンナ・リヴキン= ブリック(Anna Riwkin-Brick)が出版した子供向けのお話付きの写真集シリーズのうち、9冊のテキストを、その出版社の編集者であったリンドグレーンが担当した。このシリーズの最初が日本で撮影された『Eva möter Noriko-san』という一冊であり[3]、スウェーデンのエヴァという少女がノリコという日本の少女を訪ねる設定で日本の文化を紹介した。内容自体は、戦後ながら着物姿で生活し、菖蒲風呂に入り、お神輿を担ぎ、雛人形を飾るといった、外国人向けの現実離れしたストーリーだったが、スウェーデンよりもイスラエルで人気を得、ヘブライ語版は28版を重ねた。幼い頃に愛読者だったイスラエル人の映画監督が、モデルとなった少女たちを追うドキュメンタリーを制作しはじめ、スウェーデンで医師となっていたエヴァを見つけ、2013年にはノリコを探すために来日した[4][5][6]。
脚注
- ^ Sanzoku no musume Rônya (2014– )TriviaIMBd
- ^ アストリッド・リンドグレーンの世界在日スウェーデン大使館公認観光サイト
- ^ Eva möter Noriko-san リンドグレーン公式サイトの紹介
- ^ のりこさんを捜せ イスラエル人気本のモデル 映画監督来日へ東京新聞、2013年8月10日
- ^ のりこさん、どこにいらっしゃいますか?イスラエル大使館 Israel in Japan Facebook、2013年3月31日
- ^ Filmmaker searches Japan for Israeli national ‘idol’ Noriko-sanThe Asahi Shimbun, August 12, 2013
外部リンク
- Astrid Lindgren (英語) Official gateway to Sweden
- Astrid Lindgren (英語) Right Livelihood Award (1994)
- オフィシャル・サイト (スウェーデン語)
- 『リンドグレーン作品集』 岩波書店サイト (日本語)