コンテンツにスキップ

ひまわり (絵画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。EmausBot (会話 | 投稿記録) による 2012年5月24日 (木) 14:22個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (r2.7.2+) (ロボットによる 変更: en:Sunflowers (Van Gogh series))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

『ひまわり』
フランス語: Les Tournesols
オランダ語: Zonnebloemen
作者フィンセント・ファン・ゴッホ
製作年1888年
種類油彩
寸法92.1 cm × 73 cm (36.3 in × 29 in)
所蔵ナショナル・ギャラリー、ロンドン

ひまわりフランス語: Les Tournesolsオランダ語: Zonnebloemen英語: Sunflowers)とは、1888年8月から1890年1月にかけてフィンセント・ファン・ゴッホによって描かれた、花瓶に活けられた向日葵をモチーフとする複数の絵画の名称である。

ゴッホにとっての向日葵は明るい南フランスの太陽、ひいてはユートピアの象徴であったと言われている。 南仏のアルル滞在時に盛んに描いた向日葵を、精神が破綻し精神病院での療養が始まってからは描いていないこともその根拠とされる。

作品群としての「ひまわり」とその点数について

ゴッホの制作した「花瓶に挿された向日葵をモチーフとした油彩の絵画」という定義であれば、7点が制作されたことが広く認められている。このうち6点が現存している。

この他に、パリにおいて制作されたものを含めて合計で11点(又は12点)とする定義があるが、これは花瓶に挿されていない構図も含めている。この項では主に前者の「花瓶に挿された向日葵」というほぼ同様の構図をとる作品群について述べる。

同様の構図の作品が複数ある理由については、アルルでの生活・制作の根拠であった「黄色い家」の部屋を飾るためであったとする説がある。

ゴッホは、「ルーラン夫人ゆりかごを揺らす女」という作品を中央にして、「ひまわり」(ミュンヘン、ロンドン、アムステルダム、東京にある4点)の何れか2点を両側に展示するというアイデアを手紙に記している。従って、これらの作品群は習作、不出来のもののやり直しというよりは、やはり複数が揃っていることに意味があったものと思われる。この4点が世界中に散逸していることは皮肉である。

7点の「ひまわり」

7点とも構図はほぼ同様であるが、向日葵の本数は3本、12本、15本と異なっている。

1888年8月に制作されたとされる4点

1920年実業家山本顧彌太スイスから購入した。白樺派美術館の設立を考えていた武者小路実篤の依頼によるとされる。当時の金額で7万フラン(2万円)であったという。
焼失までの間に東京大阪で展覧会により公開されている。1921年の東京での展覧会は京橋星製薬ビルで行われている。1920年前後の星製薬ビルは多くの芸術展覧会が開かれており、当時の公開においても「ゴッホのひまわり」が評判の作品として扱われていたことがわかる。
2003年兵庫県立美術館で開催された「ゴッホ展」において「芦屋のひまわり」というテーマで特集された。

1889年1月に制作されたとされる3点

1987年3月に安田火災海上が3992万1750ドル(当時のレートで約58億円)で購入した。(当時の代表取締役の後藤康男が購入を推進したと言われる。)
贋作ではないかという意見(1997年10月英新聞サンデータイムスの報道ではエミール・シェフネッケルの筆ではないかと推測している)があったが、疑惑についてはゴッホ美術館の学芸員が否定している。
制作時期については1888年12月とする説もある。
この「ひまわり」について、購入者が「死んだら棺おけに一緒に入れて焼いてくれ」という旨の発言がしたとの都市伝説があるが、そのような発言があったのはゴッホ作「医師ガシェの肖像」を購入した当時大昭和製紙名誉会長齊藤了英であり、高額購入されたゴッホ作ということで勘違いされているものと思われる。

関連項目