Wikipedia:井戸端/subj/研究者、学者のページについて。

研究者、学者のページについて。[編集]

記事が乱立されている状況について[編集]

 所謂○○学者という記述になる人物のページなのですが、百科事典ではなく名簿や人物録、カタログ・名鑑・人名録の類になってるものが乱立している状況にあるように思います。学歴や来歴と論文だけが羅列されたページが山のようにありますがそれを特筆性、著名性というのなら、民間の研究者や、小中学校の教職員だって人を育てたり実のある研究、成果を世にもたらしていると言え、何を持って百科事典にそのようなページがあるのかよくわからないです。大学は基本的に研究機関であってゴク潰しや給料泥棒でもやってなければ論文くらいは書いてるでしょうし、そういう職業なだけで学歴や経歴がご立派ではあっても百科事典の記事としては妥当と思えません。多くの場合公開されているとはいえ、そこらのおじさんおばさんの学歴や経歴をわざわざ衆目に晒しているだけとも言え、プライバシーの侵害でしかないようにも見えます。人によっては研究と言うよりポエムや妄想、創作物のようなものだって論文として世に出ているわけで、こんなに立派な学歴でこんなに論文書いてるのですなんてのは記事として無価値に等しいと思うのですが、なぜそんなのばかり増え続け、放置されているのでしょう?例えば、~という論文により受賞し、とか、第三者言及を伴う形で話題になりなんて記事なら意味はあるものとおもいますが、何を研究しているかも羅列される論文の中身も質もわからない記事に何の意味があるのかわからないです。特定の分野で有名であってもその分野での信頼できる第三者言及が「特筆性があるなら」あるものでしょうし、有名になるのはそういった資料によって知るからの筈ですが、無関係な人間から見て論文のタイトルと無意味な来歴しか見出せない記事の許容される理由や価値がわからないですしこれが許容されるなら自称俳優や地下アイドルや同人作家やyoutuber辺りの削除依頼や削除の実施の説得力や根拠も怪しい事になるように思うのですが、下手すると出典すら一切無いそれらが放置される理由は何処にあるのでしょうか?--58.93.130.70 2018年10月29日 (月) 17:39 (UTC)[返信]

ガイドラインとしてはWikipedia:独立記事作成の目安が、まだ草案ですがWikipedia:特筆性 (人物)があります。m:削除主義とかm:包摂主義も参考になるかもしれません。◆大学教員については、教え子がよかれと思って記事を作成するケースが多いと想像しています。それに対して、特筆性が足りないから削除しよう、とする勢力の方が弱い、というのが現状なのでしょう。ウィキペディアに何か指導者的な存在がいてそのように誘導しているわけではなく、自然とそうなっている、というだけのことです。◆私個人は、明らかに特筆性が足りないとか、プライバシーに反している、とかの理由がある場合に、削除依頼に提出したことは何度かありますが、特筆性がグレーゾーンの場合には放置しています。◆まあ、ウィキペディアは百科事典とはいえ、永遠の未完成版なのだ、と思ってあまり目くじら立てないようにするのが精神衛生上よろしいのではないかと思います。数十年後、本人が亡くなった後に、特筆性がないことが明らかになれば、自然と淘汰されるでしょう。--白駒会話2018年10月29日 (月) 22:03 (UTC)[返信]
実際の所毎日毎日量産されるわけですから、とっくに手遅れだと思うのですが、悪化が良貨を駆逐していくように「この程度で良いんだろ?アレが許されるなら当然これもいいんだよね?」的なゴミが延々と増えてる有様です。■「無出典の来歴と論文の羅列」が目安を満たすわけが無いのは自明で、そもそも良かれとおもって教え子がその有様とか論外であって、教えを受けて尚その先生に「来歴と論文タイトル以外に書くべき事が見つからず」「ガイドラインも読めない人材を世に放逐した」と世に示すだけでもう指導者とか研究者としても、研究内容もその対象がゴミって証明しているようなものだとおもうのですが、どこに良かれとおもってなんて善意があるのかわからないです。■一番近くに居る人が有用性と成果を説明できないって失礼でこそあれ、好意も善意もありゃしないです。■そんな関係者が教わった事なんて何も無いし論文の数くらいしかない人ですがねって言ってるような人に第三者が記事を育てようなんて思う価値があるわけが無い。■読み書きが出来れば「ガイドラインに合うようにきちんと記述する」のが恩師に対して恥ずかしくない貢献であって最低限の敬意があればそういう場所じゃありませんよとなっている「名簿とか紳士録の出来損ない」にならずに済むと思うのです。■数十年後本人が亡くなった後には「淘汰されるのではなく参照される事も無いゴミ記事が墓標として残り、次のゴミを呼ぶ」から作られないようにする工夫はいい加減必要ではないか?というはなしで、カテゴリの質が向上すれば必然的に知られるべき人や事柄がより露出しやすくなるようにも思うのです。■生きてるうちはプライバシーを晒され、死んで尚、悪い方向への糧になるだけの墓標とか酷い業だと思うのですよ。■少なくとも「他のカテゴリで消される程度の水準の品質の記事」は「勘違いされないようにどうにかする仕組みか取り組みは必要」な気がしますし、そうならなければ宣伝したがってる企業の人とかマイナーなアーティストとかそのファンは納得しにくいと思うのですが、カテゴリによって待遇が違うのはよろしいとは余り思わないです。--58.93.130.70 2018年10月30日 (火) 16:00 (UTC)[返信]
  • コメント 日本語版の場合、残念ながら方針やガイドラインをきちんと理解している利用者が少ないので、記事のメンテナンスが追い付かないのが現状です。特に初心者の多い芸能人やエンタメ関係、もしくは学者記事のような人目につきにくいマイナー分野はメンテナンスが滞りがちです。低質な記事を加筆修正するには人手が足りませんし、削除してしまえば簡単ですがWikipediaには記事の削除は極力避けるべきだという考え(m:包摂主義)の利用者もおり、特筆性不足で記事を削除するにはきちんと調査をして証拠を示す必要があります。英語版では新記事の品質をチェックする制度en:Wikipedia:New pages patrolがあったり、IPは新記事作成できなかったり、新規アカウントで最初に作成した記事は下書き段階で品質をチェックする制度en:Wikipedia:Your first articleがあったりするのですが、日本語版では一部の一般利用者が個人的にチェックして問題のある記事には専用テンプレートを貼ったりしているだけなので、どうしても対処もれが出てしまいます。英語版を見習って新記事のチェック制度などを導入すれば解決できるかもしれませんが……。--SilverSpeech会話2018年10月31日 (水) 00:40 (UTC)[返信]
コメント いちおー日本語版でも記事の質を維持するための査読制度導入に関しては過去にたびたび議論が提起されていますね。井戸端ですと「Wikipedia:井戸端/subj/未査読状態の明示と免責事項の周知(2010年)」「Wikipedia:井戸端/subj/存命人物記事のための記事公開前査読機能(FlaggedRevs)の導入提案(2013年、FAQ)」「Wikipedia:井戸端/subj/「査読」「公開」システム導入の提案(2016年)」などでしょうか。もっとあるかもしれませんけど。──『不特定の圧倒的大多数による数の暴力での実質的な質の低下(善意の不作為攻撃)』というのは要するにWikipedia:妨害的編集ですから、それを停止させる、と同時に方針ガイドラインへの理解を半ば強制的に促す(ていうか理解・実践できなければ一般公開されない=自身の不利益として覿面に跳ね返ってくる)方策として個人的には新規記事や存命人物記事に絞ってでも査読制度が導入されればみんなが楽になるのに、と思っています。--Nami-ja [会話 履歴] 2018年11月1日 (木) 04:44 (UTC)[返信]
 追記 質問者さんのご質問に答えておりませんでした、申し訳ない。ご質問の意図するところの「低質な記事が放置される最大要因は何か」の回答としては上記にも関係しますし皆さん異口同音に仰っておられますが『 最低限ルールを理解して遵守・実践している利用者の方が圧倒的少数派だから 』です。殆どの利用者はウィキペディアがアメリカ合衆国に所在すること自体知らないと思います。--Nami-ja [会話 履歴] 2018年11月1日 (木) 04:57 (UTC)[返信]
  • コメント 査読制度は誰が査読するんだという問題があって導入は実質的に不可能じゃないかと思っています。なので現状では個々に削除依頼するしかないでしょう。個人的には、業績をきちんと記述することで充実した意義ある記事に育つはずの記事がかなりあるだろうという方に注意が向きます。--Nkymysnr会話2018年11月1日 (木) 05:27 (UTC)[返信]
  • コメント 査読制度、という名前で誤解が発生しやすいかもしれませんが要するに「読者に公開する際に『その最低限品質をクリアしているかどうか / 内容に致命的なリスクや問題が含まれていないかどうかの』確認・合意必須」というお話で、要するに現状で特別:新しいページに対し雑草取り屋さんたちが日々頑張っている編集行動それ自体が査読(最低品質確認)になる、というお話です。なお他言語版の割と多数で(ロシア語版、ドイツ語版、英語版など)とっくの昔に導入実施されており実績が蓄積中ですので「不可能」というのは実施状態イメージが大幅に異なるのだと思います。--Nami-ja [会話 履歴] 2018年11月2日 (金) 11:42 (UTC)[返信]
  • 低品質な記事も存在して維持されると「なれて居ない人程既存の記事を下敷き、参考に」多くの場合は記事が作られる以上、せめて実績、活動内容を主軸にした物が主となるバランスになってくれれば話は少し変わると思うのです。「強く」削除を推進したいわけではなく「定義部できちんとその特筆性や活動、成果、受賞暦など」が存在するならそれは普通のプロセスで評価を受ければいいケースと考えます。出典が足りない記事で実績があるなら出典を補うなどの協力も出来るでしょうが「で、誰?」レベルの記述は補う気になる人なんているわけが無く査読以前に満たすべき条件の問題だと思うのです。ただ、毎日コピペ同然で作られる「紳士録や名簿」に対して普通の削除依頼のプロセスはリソースに対して既存のものも含めれば量に対して処理が重すぎます。そして「放置される事」が「存在していい理由、根拠」として積みあがって行きます。当然「一定期間の修正機会」はあっても良いと思うのですが、書いたままで放置されてしまうことが「来歴も論文もあるから実績も肩書きもあって立派な人で知ってる人が無いから書いておこう」と「勘違いされてしまう根拠となり残存することが問題」だと思うのです。実は学者だけではなく、実業家などでも同様の事が言え、大企業のトップを努めた事があってもそのときに「何をしたのか」がなければ「名簿や墓標」としては機能しても百科事典の記事として人物の項が存在するラインを大きく下回ってるように見えます。結局駄目な記事が「定義部が杜撰な記事でも平気」という状況を助長してしまうので、数の問題と処理リソースの問題から最初に篩に掛ける仕組みが必要なのではないかと思います。それこそ定義部で活動や実績、受賞暦もない大学職員なんて再生数一桁のyoutuberと事典の記事としての価値に大差は無いです。無駄に体裁が整ってるだけ性質が悪く、来歴はプライバシーでもあるので別の問題も多分に含んでいると思います。査読などの形では物量に対してプロセスが重く破綻するので、もう少し軽いプロセスで全体の調整をする仕組みが必要に思いますがどうにか出来ないものでしょうか?「迷う」とか「正当な反論が出る」レベルの記事なら普通の削除依頼でいいのですが、検討するレベルの情報すら書かれて居ないものは機械的にどうにかできる仕組みがあればその運用の様子からも「あ、名簿とかは違うんだ」と気がついてもらえる機会にも繋がりそうな気がします。--58.93.130.70 2018年11月3日 (土) 01:47 (UTC)◆IPさんのコメントの方が時系列的に後ですのでコメント場所を当方コメントの下位置へ変更させて頂きました。--Nami-ja [会話 履歴] 2018年11月3日 (土) 05:25 (UTC)[返信]

ほかの分野でも同様のことが起きているようにみえます。その分野に詳しい人から見ればあって当然の記事でも、そうでなければ何だかわからない、というのは本当はよくないのでしょうね。記事の内容充実を求めればいいので、削除の方向に動くのはどうかとも思います。 --ねこぱんだ会話2018年11月3日 (土) 03:06 (UTC)[返信]

  • 本当は良くないではなく、記事として意味が無いのではないですか?宗教がらみの人も「一般人にしか見えない」記事が放置されて居ますが、信仰なんてめんどくさいものがあるので扱いが難しくなってるように思います。それこそ学歴とか血液型なんてわからなくても「どんな社会的影響や貢献があったのか」があれば、それは内容の充実を求められると思います。むしろ公開されていて記事にして良いような情報なら調べれば見つかるはずで見つからないものはそもそも公開事項にして良いか?という部分で問題が出る可能性が高いです。そこらのおっさんおばはんの学歴や職歴だけの記事をみて掘り下げてみよう充実させようなんて「貴方は思いますか?」それが「そうならない理由」だとおもいますし、無限定に他人が無関心な事象に対して労力を割くという最初から破綻した期待をすることが間違って居ると思いますし全ての項目がそもそも充実するべき物なのか?を考慮していると思えないです。削除されるプロセスが可視化されていればそれを確認する事で駄目なラインを書こうと思った人が事例として参考に出来るはずですし、存在してしまうことが「その程度の記事でも役に立つとか勘違いしないように」扱うことが必要に思うのです。百科事典を紳士録や名簿にしようというずれてる善意や努力は誰も幸せにしないと思うのですが。--58.93.130.70 2018年11月3日 (土) 03:52 (UTC)[返信]
    • 返信 どの程度が良い悪い以前にWP:NOTCATALOGにより(本来)全面的に禁止されてます。が。ウィキペディアは紙製の事典ではないので既存の大百科事典の収録物や記載内容の慣例に縛られる必要もないことがWP:NOTPAPERで許諾されており、IPさんの仰る場合のどれかに合致していて存続している事例があると思われます。──人名録関係ですと個人的に関わった案件では男子ボクサー一覧Wikipedia:削除依頼/男子・女子のボクサー一覧)がありますね。--Nami-ja [会話 履歴] 2018年11月3日 (土) 05:25 (UTC)[返信]
      • 返信 私が言ってるのはそういう意味での名簿ではないです。氏名、生年月日、学歴、職歴、論文タイトル。これだけの様なページを言っています。第三者言及によって特筆性が担保されたり、受賞暦の類があったり、定義部で活動や成果、実績が書かれているものはその限りでは在りません。論文なんて大学卒業していれば学生ですら書くのですからタイトルが並んでても数があってもそんなものには意味が無くて、それを参考に新しいページを起こせば一定の肩書きがあれば誰の記事でも造られるようになってしまいます。便宜上曖昧さ回避や、カテゴリからの誘導などの導線はあっても良いと思うので「必要なページなら」それをダメと言った覚えも無いです。リンク先に許容される理由と合致する項目は私には見つけられなかったのですが、見落としてますでしょうか?--58.93.130.70 2018年11月3日 (土) 07:14 (UTC)[返信]
      • (コメント)人文社会系で自費出版でない単独著書のない教員は削除依頼に行くこともあります。論文の項目に大学紀要に掲載した内容を書くのは論外。ましてや博士号があるという理由で作成するのは話になりません。--hyolee2/H.L.LEE 2018年11月3日 (土) 09:43 (UTC)[返信]
        • 削除依頼に行く「こともあります」が「行かないことが多い」ということでもあり、存在し続けているという事でもあって、削除依頼自体が駄目な記事でもそれなりの労力と時間で書かれるわけですから、処理としても普通の人の心情としても何でも消してしまえというのはちょっとコストが重たく物量に見合わないと思ってます。ヘルプ、ガイドラインがさて書き始めようと思ったときに迷子になり易い状況にあるので、その辺りも既存の記事の質が新たに書かれる記事の質に影響する要因でもあると思ったりもします。数がそろいそうなものはプロジェクトとしてフォーマットを定義して必須項目だけは埋めてから記事を作成してくださいというのが様々な労力的にも見た目の統一的にもよさそうな気はしますが、簡単に出来れば既にそうなってると思うので難しいですね。--58.93.130.70 2018年11月4日 (日) 01:37 (UTC)[返信]
      • (コメント)学者さんとは違いますが、AV女優記事については以前は出演本数(10本くらいだったか)で特筆性ありと見なされていたため、「何年に何処のブランドからデビュー、あとは出演リスト」みたいな記事が乱立していましたが、条件の改定に伴ってWP:Nを厳しく見るようになった結果、昨今はかつて作成された問題のある記事の削除依頼が若干ながら増えているように見受けられます。学者・研究者についても何かしらのルール改定が必要かも知れません。--KAMUI会話2018年11月3日 (土) 10:13 (UTC)[返信]

学者や親族のプライバシーについて[編集]

学者の記事における「プライバシーの侵害」の例を挙げていただけないでしょうか。勿論記事が特定できない範囲でですが、どの程度の知名度の人の、どういう種類の個人情報が公開された例がありますか。 --2001:240:2419:383:CDBB:3FB:2D60:BC8B 2018年11月3日 (土) 11:59 (UTC)[返信]

書き方が悪いのかもしれませんが「侵害」と「問題になるようなケース」は少ない(多くは出典があるわけですから根拠になる公開された資料に基づいているわけですし)と思います。が、ほぼ一般人のそれが仮に公開されていても職歴、学歴などを「他人が晒すこと」は私は悪趣味な気がしますし、出典、資料が明示されて居なければそれが正しいかどうかも不定になります。そう言う意味では「根拠が明示されていない情報」はそういう問題に繋がる可能性はあるとは思って居ますし、事実かどうかを確認できない情報をばら撒いていることになります。積極的に知られたいと思って居ないが便宜上大学のサイトには記載があるといったこともあるでしょうし、前述の通り公人より私人に近い人のプライバシーに近い情報を第三者が安易に扱うことは「今後も問題が起きない、潜在的に問題の発生の可能性が無い事を担保しない」と思っています。と言う話です。--58.93.130.70 2018年11月4日 (日) 01:37 (UTC)[返信]

コメントあからさまにWP:NOTに反する住所録一覧を各個の特筆性説明記事へと編集対処した案件」ですと宮城県の神社一覧がありますね。これも普通にやるなら「ものすごくコストの重い修正案件」でしたが、この編集の際に「記載して然るべき閾値を定める明確な指針としてWP:Nの説明に際しWP:Vが確実に満たされていることを採用した」といった背景があり、IPさんの仰る案件に繋げるならば学者関係の上位プロジェクトで指針を作り、IPさんの仰る問題点に対する対処をプロジェクト合意とした上で閾値以下の内容にしかならない人物記事に対しては作成自体を認めない、といった方向性になろうかと思います。先述の神社一覧に関してはプロジェクト:神道で一覧作成時の最低限必須記入事項の合意を作っておりまして、コレを満たさないサブスタブ記事の作成は原則禁止されております。同様に、学者さん(人物伝)の上位であるならば恐らくプロジェクト‐ノート:人物伝辺りでしょうか。以前にも学位や学者スタブの作成に際しこちらで議論が行われておりますため妥当な上位プロジェクトかと思われ、そちらにて学者人物伝作成に関する最低限の必須記述内容指針(コレを書かなければ学者記事の最低品質を満たさないといった必須記載事項など)を提案してみてはいかがかな、と思います。--Nami-ja [会話 履歴] 2018年11月4日 (日) 04:16 (UTC)[返信]

ちょっとプロジェクトページも確認してみたのですが、どこにどうやって書いたものか…という辺りですでに心折れそうだったりします。リンク先もみてはみたのですが、その結果を新規の参加者、作業者がどこで知る事が出来て周知されているのだろうか?と考えた時に見つけられなかったのですが……。もしかするとヘルプやガイドラインが参加したい人が書きたい事のプロジェクトに辿りつき、条件を確認しにくい事が新規記事の質に関係しているような気がし無くもありません。参照すべきは「遵守すべき条件と情報」で、それに疑問や不満があった時に議論の経緯を見る事になると思うのですが、迷子になってしまいました。どうすればいいか?の前に何処に何があってどう繋がっているのか?で匙を投げそうなのですが、他の方はちゃんと必要な情報に辿りつけているのでしょうかね…?そして、それってどこで提案して何処で改善の相談をしたら良いのでしょう?基本的にはレイアウトは統一されていたほうが参照するときに参照しやすくなりますし、プロジェクトとして成立しているものは基本的なフォーマットがあると初稿からメモのような記事は減りそうな気がするのですけれども。--58.93.130.70 2018年11月4日 (日) 07:04 (UTC)[返信]
「千里の道も一歩から」ですし、拙くても最初にそれを断って単純にこちらの議論をリンクで誘導した上でIPさんの感じている問題点を列挙するだけでも、『プロジェクトという大きな指針を作る場所に懸念と対処に際し自身が考えた方策を列挙しておく』というだけでも大きな目標に対する第一歩に値すると思いますよ。『 最初から完璧でなくとも良いのです。少しずつでも改善を目指しましょう 』という奴ですね。目に触れればお手伝いも吝かではないことはこちらで議論に参加した諸氏、意見せずとも議論推移を見守っている諸氏も同じく思っていると思います。ご健闘を祈ります。--Nami-ja [会話 履歴] 2018年11月4日 (日) 09:54 (UTC)[返信]
具体的には職歴と学歴がプライバシーに抵触しうる典型的な個人情報ということでしょうか。Wikipedia外の事例でもかまいませんが、そういった情報が実際にプライバシーの侵害として確定した、近い判例は何でしょうか。そのものズバリはないかもしれませんが、存在する判例の範囲で最も近いものを考えるといいと思います。判例に抵触しないギリギリまで掲載しよう、ということではありません。しかし、何か基準があってはじめて、「この基準ギリギリでは危険だからこれくらい距離をとっておこう」というような「安全側に倒す」議論ができると思っています。 --2001:240:2401:3E4B:B1C6:61F2:9E78:59EB 2018年11月10日 (土) 00:17 (UTC)[返信]
コメント 議論を提起された58.93.130.70様が意図していたこととは異なるかもしれませんが、人物記事を多く手掛けているのでコメント申し上げます。
以前、立項後一月程経ってから記事本人の方に近い方からノートにコメントをいただいたことがあります。出典をきっちり揃えて特筆性も分かるように記述していたのですが、幼少期の苦難を乗り越えて~~を~~して現在は……という流れで来歴・人物節を書いていたところ、コンプレックスを書かれるのは困る、出典以外にこの情報を記述することを許可していない、などの指摘を受けました。この件はご本人が記事を喜ばないと判断したため、結果的に立項者の自分が即時削除を依頼しました。
研究者では大学の人物一覧記事への掲載をご本人が除去された例もありました。もっともこれは別の編集者の方が単独記事の立項を理由に記述を戻しています。また、顔写真が掲載された電子ジャーナルの出典へのリンクを除去された方もいらっしゃいました。研究者は大学の研究者情報のページに経歴が載っていますし、学科のサイトなどで学校のアピールのため出身高校やメッセージが載っている場合も多いですが、だからといってWikipediaに掲載されているのを当然と思う方ばかりではないと考えられます。
なお基準ということについては、信頼できる情報源における第三者言及(新聞記事や受賞の紹介文、原著論文や総説論文の序論における言及、学会誌解説記事での言及、など)があるか否かと、記述の仕方次第、ということしか言えそうにありません。前者については出典を補填すれば解決することが多いと思いますが、後者については難しいところです。--Assemblykinematics会話2018年11月10日 (土) 12:24 (UTC)[返信]

たとえばこの記事「丸尾文治」などは明らかに典型例と言えるでしょう。あまり知られていない研究者に対してこのような詳細な記述は、まさに百科事典的ではなく名簿や人物録、カタログ・名鑑・人名録のたぐいと勘違いしていると言えるでしょう。あまり知られていない研究者のプライバシーをこのように明らかにするというのは、非公開情報をさらし者にしているとも言え、まさに個人情報の漏洩と言われても仕方ないと思います。この記事の初版執筆者は、いままで雑草取り程度の工研しかしておらず、突如としてこのように詳しく詳述された記事をいきなり投稿しているのも気になります。雑草取り程度しかしていなかった利用者がいきなりこんな記事を投稿してきたのですから、おそらくどこかに元になった資料か何かがあり、それを丸写しして投稿しているのではないでしょうか。したがって、明らかに著作権侵害と疑われる状況と思われます。参考文献も一つもなく、初版投稿者もあやしいわけですから、すぐにでも削除依頼を出すべきです。--以上の署名のないコメントは、126.246.75.55会話)さんが 2018-11-16T23:21:02‎ (UTC) に投稿したものです(Assemblykinematics会話)による付記)。

勝手にコメントを消す方がいますがやめてください。なぜ私のコメント削除するのですか。丸尾氏は大学で教員を務めていたようですが、日本に大学教員は多数存在します。全員採録してったら完全な名鑑になっちゃうでしょう。ノーベル賞受賞者などと比べて、この人物の知名度が高いとは言えないでしょう。特筆性があると言えますか。いずれも疑問でしょう。そのような人物のプライバシーを掲載するのは、さらし者にするのが目的と指摘される可能性があると思いますが。--以上の署名のないコメントは、126.246.75.55会話)さんが 2018-11-17T01:52:57‎ (UTC) に投稿したものです(Assemblykinematics会話)による付記)。 インデントも調整させていただきました。--Assemblykinematics会話2018年11月18日 (日) 11:35 (UTC)[返信]

コメント 記事「丸尾文治」については、ガイドライン独立記事作成の目安を十二分に満足していると考えられます。枯草菌α-アミラーゼの功績、世界で初めてホスファチジルグリセロール英語版イソアミラーゼを発見したこと、多くの弟子を育てたことが出典で取り上げられていますし、それらが勲三等旭日中綬章を受勲されたことで裏付けられているはずです。
もっとも「書き方がまずいために特筆性が分かりにくい」という問題はありそうです。よく、記事冒頭の導入部を定義部と間違える人や、実際に定義しか書かないことが多く、この記事もそうなってしまっています。この記事の場合、概要節に書いてある内容を導入部に持って来ればその特筆性が際立つとともに、記事を読んでみようという気にもなると思います。
なお、以前に著名な編集者の方がTwitterで問題提起されたことがあり、記事「吉田沙保里」の導入部を修正したことがあります(Google検索時に右側に表示される文章の文字数を考慮して記述。カッコの記述は反映されないことにも注意。)。ほかにも「伊調馨」、「山崎拓」、「加藤紘一」で修正しましたが、著名人の記事の書き方が改善されることによって、個別分野の人物記事も改善されていくのではないかと思います。--Assemblykinematics会話2018年11月18日 (日) 11:35 (UTC)[返信]
コメント プライバシーについてまず一般論を申し上げますと、研究者によっては情報をオープンにしていらっしゃらない方もいらっしゃいます。こちらの方は卒業年は情報があるものの生年月日が全く公開されておらず、こちらの方に至っては大学の卒業年や大学院の修了年すら見つかりませんでした。大学や研究所における研究者情報のサイトには、学歴や職歴、電話番号、メールアドレス、顔写真などいろいろな情報が掲載されていますが、ある程度はご本人が開示する情報を選択できます。研究者の方にオープンする情報とそうでない情報を気を付けてもらう、というのも必要かもしれません。
なお、学会誌や論文誌の著者紹介も個人情報保護を推進する流れですが、ある時期までは徹底されておらず、生年月日などが必須だった場合もあるようです。現時点の個人サイトなどでご本人がオープンにされていたら差し支えありませんが、そうでない場合にこのような情報をWikipediaに記述すべきか否かということは、課題かもしれません。
あと記事「丸尾文治」については、弟子の方や親族の方について情報を書き過ぎている可能性はあります。出典の有無、故人か存命人物か、その人物の特筆性や公共性によっては、記述を修正する必要があると考えられます。この記事の家族・親族の場合、政治家でWikipediaに記事があったり故人の方も多いので、差し支えないように感じます。ですが門下生については赤字リンクが多く、特筆性を有する方もいらっしゃるかもしれませんが、個別出典やWikipediaの記事がない限り記述を控えた方が良いかもしれません(ちなみにこちらの研究者兼サイエンスライターの方の記事では、配偶者の方も著名な研究者(文部科学大臣賞も受賞)でしたので、注釈付きで記載させていただきました。参考までに……)。--Assemblykinematics会話2018年11月18日 (日) 11:35 (UTC)[返信]
質問記事「吉田沙保里」の導入部を修正したことがあります」とのことですが、記事の冒頭に「父親はレスリング選手の吉田栄勝。」という記述がわざわざ追加されましたね。著名な親族や縁者がいるかどうかは、記事当人の業績や特筆性とは直接結びつかないと思いますが、このような記述は冒頭に必要でしょうか。「著名な親類や縁者がいる」ということを記事に書いてもいいとは思いますが、有名な親せきがいるからといって記事当人に特筆性があることを示すわけではないでしょうし、有名な親せきがいることと記事当人の業績とは特に関係しないでしょう。--モロダス・ドーン会長会話2018年11月20日 (火) 21:02 (UTC)[返信]
スポーツ選手の場合、親族などに同じ競技の経験者がいるかどうかということは、その選手の生育環境にかかわる重要事項だと思います。冒頭に記述されてしかるべき事項でしょう。原辰徳の記述に、父は野球指導者の原貢と書くのはきわめて自然です。そもそもここは研究者の記述について論議する場所ですから、スポーツ選手のことは本来別件では。 --ねこぱんだ会話2018年11月22日 (木) 13:54 (UTC)[返信]
(コメント)断じて不要。当人の事績と縁戚の事績とは無関係。記事本文に書くのはアリ、だが当人の事績というわけではないので記事冒頭に書くほどの情報ではない。たまに、記事冒頭に縁戚関係を書いて回っている親戚厨がいるが、それによって誤解する人がいるのではないか。たとえば「親戚に著名人がいるなら記事を書いてもいい」と勘違いしてる人が出現するが、これは親戚厨の書いた記事見て誤解している人がいるのかもしれない。(しかし「研究者、学者のページについて。」と題した議論にて、原辰徳を例として持ち出したのはさすがに笑った)--126.183.32.96 2018年11月23日 (金) 18:10 (UTC)[返信]
コメント 「不要=必要とは限らない」ということには同意いたします。記事「吉田沙保里」の導入部で吉田栄勝氏に言及したのは、写真に説明文がなく栄勝氏と誤認したこと(実際は栄和人氏)、他の選手なら複数の大会での受賞歴を挙げるところ、「女子レスリング個人で世界大会16連覇、個人戦206連勝の記録を持ち、2012年には13大会連続世界一でギネス世界記録認定、国民栄誉賞受賞を成し遂げた。」という一文で間に合ってしまい、かといって中京女子大学に関する記述を後に続けるには、Googleで表示される文章としては文字数が多かったという事情があります。
ただ、だからと言って現時点で積極的に導入部から記述を除去する必要はないと考えています(改善の必要は認めますし、将来的に沙保里氏が指導者などで業績を増やした場合は優先順位が変わり得ます)。先に「導入部で特筆性が分かるように記述するべき」と申し上げましたが、導入部はもともと「記事全体の要約」というのが基本ですので、幼少時から父親のレスリング道場で鍛えられたこと、亡き父との約束を背負ってオリンピックに臨まれたこと、このようなTV番組もあったことから、栄勝氏に関する記述は有益な情報と考えます。また栄勝氏が単なる道場の指導者であれば導入部での言及は不要かもしれませんが、ご自身が日本選手権優勝、アジア選手権2位、世界選手権4位という業績をお持ちで、Wikipedia内にも独立記事「吉田栄勝」がある方ですので、問題はないと考えています。
あと、一般論として家族・親族を絶対に記してはいけないということにはならないと思います。記事「ピエール・キュリー」の導入部に配偶者らと共同でノーベル物理学賞を受賞したことが記述されていますが、「たとえば「親戚に著名人がいるなら記事を書いてもいい」と勘違いしてる人が出現する」という恐れがあったとしても、導入部としては削るべきではない必要な情報と考えます。また、2人の娘についても言及がありますが、これは「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」にある「その記事をさらに読もうという興味を引き出すことが推奨されます」という観点からしますと残すべきとも思えますし、それよりもキュリー温度キュリーの法則キュリーの原理の発見を優先して載せるべき、とも考えられます。
長くなりましたが、記述すべき事項と文章量とのバランスかと思います。他に書くべき事項があるのに、導入部の初期に家族、親族に言及するのは勿体ないことでしょうし、削るべきではない家族・親族の情報を優先させるケースもあり得るはずです。ただ、「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」には「その記事をさらに読もうという興味を引き出すことが推奨されますが、導入部ではそれに続く内容をほのめかすことで、読み手に対して「もったいぶる」ことは推奨されません。」と書かれていますので、単に続柄を記載するだけでなく、その人物との関係が分かるように記述を改善する必要はありそうです。--Assemblykinematics会話2018年11月24日 (土) 00:55 (UTC)[返信]
コメント 研究者、学者のページについての議論ではありますが、研究者の記事を書こうとしたからと言って、必ずしも研究者の記事を参考にするとは限りません。普段よく目にする記事に問題があれば、それに引きずられてしまうこともあり得ます。また、研究者、学者という括りで執筆・編集するよりも、特定の専門分野を編集する上で研究者の記事を執筆するケースや、ニュースや新聞・雑誌で目にした人物の一人として研究者に着目するケース、人名録に載っていてWikipediaに記事がない人物記事を網羅しようとされるケース、などが見受けられます。どうしても議論は人物記事全体に及んでしまうでしょう。--Assemblykinematics会話2018年11月24日 (土) 00:55 (UTC)[返信]
コメント 「記事当人の業績や特筆性とは直接結びつかない」というご意見に同意します。特に学者の場合、業績は遺伝するわけでも相続するわけでもないでしょう。定義文に必要不可欠とは思えません。(最近の研究では学力に対する遺伝が与える影響は極めて大きいとのことですが、それはあくまで素質であって後天的な努力で補うこともできるでしょうし、学力=研究業績ではありませんし。)記事内の血族に関する記述を定義文に移動させるだけの編集を繰り返すのは、無駄に版を増やすだけの行為です。--126.164.69.117 2018年12月1日 (土) 14:11 (UTC)[返信]
コメント いろいろなご意見ありがとうございます。「スポーツ選手のページ」ならともかく「研究者、学者のページ」について、親せきに関する記述を冒頭に入れる正当性があるとお考えの方はいないようですね、当事者を除けば。--モロダス・ドーン会長会話2018年12月2日 (日) 06:49 (UTC)[返信]

検索サイトに対する配慮について[編集]

質問Google検索時に右側に表示される文章の文字数を考慮して記述」「Googleで表示される文章としては文字数が多かった」など、Assemblykinematicsさんはウィキペディア以外の某特定サイトに対して過度に忖度や配慮をしているかのような発言を繰り返しているようですが、何の目的でしょうか。検索サイトなど無数にあり、ウィキペディアを見る人が使っている検索サイトはさまざまでしょう。それなのになぜGoogleでの表示結果ばかり気にしているのでしょうか。「俺はいつもIE使ってるから、ウィキペディアでもIE専用タグもっと使えるようにしろ」「俺のパソコン環境のフォントサイズに合わせて改行位置を最適化しろ」とか言うレベルの主張ですよね。そもそも「外部サイトで奇麗に表示できるようにウィキペディア側の記述を書き換える」など本末転倒です。Google側の仕様が変更されたら、ウィキペディア側もGoogleの仕様変更に合わせて記述を書き換えるつもりでしょうか? たとえば、Google側の仕様変更により、Google検索時に画面右に表示される文字数が削減されたらどうするつもりですか? またウィキペディア側の記述を書き換えるつもりでしょうか。たとえば、Google側の仕様変更により、ウィキペディアの記事先頭部分と「概要」セクション部が検索時の画面右に表示されるようになったらどうするつもりですか? またウィキペディア側の記述を書き換えるつもりでしょうか。Assemblykinematicsさんが責任もってGoogle側の仕様変更のたびに記事の体裁を直してくれるとでも言うのでしょうか。ウィキペディアが検索エンジンとしてGoogleを推奨しているとか公認しているとかならともなく、単にあなた個人の趣味嗜好なのですよね。数ある検索サイトの中からGoogleだけに便宜を図り、それに合わせてウィキペディア側の記事を修正するなんて。そこまでGoogleを特別扱いしなければいけないのでしょうか。--モロダス・ドーン会長会話2018年12月2日 (日) 06:49 (UTC)[返信]

Googleは一例としてあげただけで、Yahoo!検索の表示も気にしています。また、最近は環境によってはWikipedia上で内部リンクにカーソルを合わせた際に、ポップアップ(?)でその記事の冒頭の文章や最初の写真が表示されます。あとスマートフォンでモバイルビュー閲覧すると各セクションは畳まれた状態のため、最初は導入部とInfoboxしか目に入りません。その際に「定義文だけだとその人がどういう人物が誤解されかねない」「魅力的な文章だと読んでもらいやすいのではないか」という配慮から、導入部の記述を洗練させようというのはWikipedia:雑草とりの活動の一環として広まってくれればと思う次第です……。ちなみに、Yahoo!だと若干文字数が少なく、Wikipedia上のポップアップ(?)は()内も表示されるという特徴があるようです。--Assemblykinematics会話2018年12月2日 (日) 07:20 (UTC)[返信]
質問 Assemblykinematicsさんは「Googleは一例としてあげただけで、Yahoo!検索の表示も気にしています」と回答していますが、そうすると数ある検索サイトの中からGoogleとYahoo!だけに便宜を図るため、GoogleとYahoo!の仕様に合わせてウィキペディア側の記事を修正していたということですね。ウィキペディアが検索エンジンとしてGoogleやYahoo!を推奨したり公認したりしているわけではないのですから、GoogleとYahoo!だけに沿った記述に書き換えるというのは、単にあなた個人の趣味嗜好なのですよね。「俺はいつもGoogleとYahoo!使ってるから、ウィキペディアもGoogleとYahoo!に合わせた記事内容にしろ」というのは「俺はいつもIE使ってるから、ウィキペディアでもIE専用タグもっと使えるようにしろ」「俺のパソコン環境のフォントサイズに合わせて改行位置を最適化しろ」とか言うレベルの主張ですが、これは何を根拠にした行動ですか。「外部サイトで奇麗に表示できるようにウィキペディア側の記述を書き換える」というのはルール上明確に認められた望ましい行動なのでしょうか。その点疑問に感じますので、Assemblykinematicsさんの行動はどの方針やガイドラインに沿った行動なのか、きちんとご提示してくれるとうれしいです。--モロダス・ドーン会長会話2018年12月2日 (日) 10:23 (UTC)[返信]
根本的に誤解なさっておられるようです。別にそれらの会社に便宜を図りたいわけではありません。Wikipediaにアクセスする場合、Wikipediaのトップページにアクセスして検索するとは限りません。多くの場合は何らかのWeb検索でWikipediaの記事にアクセスしようとします。研究者、学者の場合、職業だけ書いた定義文があった場合、何か特別な発見や発明について書かれていなければ、そのことに気付かずそれ以上アクセスしない場合もあります。また、分野に精通した人がそれを見た際に、「Wikipediaにはこの程度しか書いていないのか」と思われてしまう場合が出てきてしまいます。Wikipediaを想っての配慮であり、後述の話も含めて自分本位な意見ではありません。
次に大事な点ですが、導入部をよりよくしようというのはWikipedia内の話でもあります。先に
また、最近は環境によってはWikipedia上で内部リンクにカーソルを合わせた際に、ポップアップ(?)でその記事の冒頭の文章や最初の写真が表示されます。あとスマートフォンでモバイルビュー閲覧すると各セクションは畳まれた状態のため、最初は導入部とInfoboxしか目に入りません。--Assemblykinematics(会話) 2018年12月2日 (日) 07:20 (UTC)
と述べさせていただきました。ある記事を読んでいた際に内部リンクのあるページへ飛んでみて(もしくはポップアップ(?)を眺めて)、導入部を眺めただけでその記事の真価に気付かないのはもったいないことです。これは自分が読むときに不便だということではなく、編集者の方が頑張って調べてよい記事にしているのに記事が過小評価されて欲しくないという願いでもあります。また、Wikipediaは多くの方に読まれてこその百科事典ですし、その有効性を認識していただいて多くの方に寄付をしていただかないと立ち行かない、という事情もあります。
なお、パイプ付きリンクも含めて何度かご案内して来ましたが、「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」(対応ショートカット:WP:LEAD)というガイドラインがあります。
導入部は、前置きであると同時に、それ自体で完結したひとつの記事であるべきです。第1文で主題を定義し、続いて別名や間違いやすい事柄に触れ、前後関係や注目に値する理由を説明し、そして最も重要な点—あらゆる著名な論争も要約することが推奨されます。主題の特筆性は、通常は最初のわずかな文章にて明らかにされるでしょう。-- WP:LEADの導入部より引用
導入部は多くの人々が読むその記事の最初の部分であり、そして導入部だけを読むことも多いです。-- WP:LEADの導入部より引用
導入節(リード文)は記事全体の前置きであると同時に、それ自体で完結したひとつの記事であるべきです。その記事が取り扱う最も重要な点を簡潔に述べる必要があります。主題が注目に値する理由を明確にしたり、少なくとも導入部にてそのことが紹介されている必要があります(しかし大言壮語とならないように)。記事の他の部分よりも、理解しやすい文章であることがいっそう重要です。続く詳細項目への興味を持てるように心がけます。ただし驚くべき事実について、それを説明することなくほのめかすのはいけません。非常に長い段落や、過剰に細かな説明は避けるようにします。より詳しい説明は、記事本文で行います。-- WP:LEAD#理解しやすい概要を提供するより引用(対応ショートカット:WP:MOSINTROMOS:INTRO
また、このガイドラインには
ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei、ユリウス暦1564年2月15日 - グレゴリオ暦1642年1月8日)はイタリア物理学者天文学者で近代科学の創始者の1人。物理学の分野では、落下運動の法則や投射物の軌跡について発見したり、モーメントの概念を導入した。天文学の分野では、発明されたばかりの望遠鏡を使って、太陽の黒点、月の凹凸、木星の衛星、金星の満ち欠けなどを発見した。また、実験・観測を重視し、近代科学の礎を築いた。-- WP:LEAD#導入部(第1段落)の例より引用
という例が書かれています。この例文から()部を省いた文章量は、ちょうどGoogle検索で表示される文章の文量になります。ほかに
水酸化ナトリウム(すいさんかナトリウム)は、ナトリウムの水酸化物。化学式はNaOH。強塩基性で、苛性ソーダ(かせいソーダ)とも呼ばれる。食塩水から安価に製造できることから、工業用に広く使われる。-- WP:LEAD#導入部(第1段落)の例より引用
という例文もありますが、こちらの文章量はYahoo!検索に出てくる文章量に相当します。
自分は以前からガイドラインに沿った導入部を書くように心がけてきたのですが、必ずしもガイドラインを読んで下さっている編集者ばかりではありませんし、他の記事の実例に引きずられる方も多いようです。そういった現状を鑑みて、著名な検索サイトでこのようにWikipediaの導入部が引用されるのだから……という言い方をしてみた、という事情もあります。
なおWikipediaにはいろいろな方針やガイドライン、手引書などがありますが、Template:Navibox_プロジェクト関連文書Wikipedia:プロジェクト関連文書にまとまっています。適宜、ご活用いただければ幸いです……。--Assemblykinematics会話2018年12月2日 (日) 12:21 (UTC)[返信]
コメント 「多くの場合は何らかのWeb検索でWikipediaの記事にアクセスしようと」するのはそのとおりでしょうが、だからといってGoogleやYahoo!に表示される文言についてまで意識して記事を書かなければいけないのでしょうか。「何か特別な発見や発明について書かれていなければ、そのことに気付かずそれ以上アクセスしない場合もあります。また、分野に精通した人がそれを見た際に、「Wikipediaにはこの程度しか書いていないのか」と思われてしまう場合が出てきてしまいます」とのことですが、だから何だというのでしょうか? なぜウィキペディアとは関係のない外部サイトを見た人の行動までいちいち意識して記事を書かないといけないのですか。そんな外部サイトのことまで気にして記事を書かなくてはいけないというルールがあるのですか。「Wikipediaを想っての配慮」などと主張していますが、そうではなく単にGoogleやYahoo!での表示結果のことを考えてるわけですよね。長々と説明しておられますが、GoogleやYahoo!に表示される文言について配慮する必要があるという根拠を、Assemblykinematicsさんは出せないのですか? 方針、ガイドライン、手引書でもかまいませんが、GoogleやYahoo!に表示される文言について意識して冒頭部を書かなければいけないと書かれている箇所があるなら、具体的に引用して挙げていただきたいのですが。--モロダス・ドーン会長会話2018年12月2日 (日) 17:52 (UTC)[返信]
コメント あわせて、Assemblykinematicsさんにおかれましては、ご自分の行為について、方針に沿った行為だと思っているのか、それとも方針に反した行為だと認めるのか、明確にご説明願います。--モロダス・ドーン会長会話2018年12月4日 (火) 11:07 (UTC)[返信]

12月は現実世界が激務で、お返事が遅れてしまったことお詫び申し上げます……。ご質問については Wikipedia:井戸端/subj/ある特定の外部サイトに対する過剰な配慮、忖度について でもお返事させていただきますが、念のため個別の質問に回答させていただきますと、

  • 「多くの場合は何らかのWeb検索でWikipediaの記事にアクセスしようと」するのはそのとおりでしょうが、だからといってGoogleやYahoo!に表示される文言についてまで意識して記事を書かなければいけないのでしょうか。
    書かないといけないということはありません。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に沿って書けば、自然と検索サイトの表示もよくなるという話だと思います。
  • 「何か特別な発見や発明について書かれていなければ、そのことに気付かずそれ以上アクセスしない場合もあります。また、分野に精通した人がそれを見た際に、「Wikipediaにはこの程度しか書いていないのか」と思われてしまう場合が出てきてしまいます」とのことですが、だから何だというのでしょうか?なぜウィキペディアとは関係のない外部サイトを見た人の行動までいちいち意識して記事を書かないといけないのですか。
    自分(Assemblykinematics)がそう思って編集していただけで、それを強制しているつもりはありません。事情説明をしただけです。また、モバイル端末でモバイルビューを見た際には、本文は目次として折りたたまれており、導入部とInfoboxしか表示されません。内部リンクで別の記事に飛んだ際に、定義文だけ読んで読み飛ばすということが考えられ、そういった観点からWikipedia内だけでも通じる話であると考えています。
  • そんな外部サイトのことまで気にして記事を書かなくてはいけないというルールがあるのですか。
    ないはずです。
  • 「Wikipediaを想っての配慮」などと主張していますが、そうではなく単にGoogleやYahoo!での表示結果のことを考えてるわけですよね。
    単純な話ではありません。
  • 長々と説明しておられますが、GoogleやYahoo!に表示される文言について配慮する必要があるという根拠を、Assemblykinematicsさんは出せないのですか?
    GoogleやYahoo!に配慮する「必要」はありません。ただ、「Wikipedia:井戸端/subj/ある特定の外部サイトに対する過剰な配慮、忖度について」でコメントされている方がいらっしゃるように、検索サイトで表示されることに留意するに越したことはない、ということは言えるかもしれません。ただ、概要が表示される検索サイトは複数あって表示のされ方は統一されていない上、Wikipedia内で内部リンクにカーソルを合わせた際のポップアップ表示の概要と比べても違いがあります。どれかに最適化すると他での表示がいまいちになるため、現時点ではWikipedia内でのポップアップ表示を優先すべきと考えています。
  • 方針、ガイドライン、手引書でもかまいませんが、GoogleやYahoo!に表示される文言について意識して冒頭部を書かなければいけないと書かれている箇所があるなら、具体的に引用して挙げていただきたいのですが。
    「GoogleやYahoo!に表示される文言について意識して冒頭部を書かなければいけない」ということは書かれていないはずです。ちなみに議論の趣旨は導入部にどのような記述をするべきか……でしたので、関連するガイドラインを提示させていただきました。
  • あわせて、Assemblykinematicsさんにおかれましては、ご自分の行為について、方針に沿った行為だと思っているのか、それとも方針に反した行為だと認めるのか、明確にご説明願います。
    ガイドライン「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」に沿った導入部の書き方をするために、検索サイトの概要表示で記事の確認をする、という個人的なノウハウを申し上げただけで、現段階の方針やガイドラインには沿っているとも沿っていないとも言えないと考えています。

となります。自分の文章力に問題があって説明不足を招き寝ない恐れがあって心苦しいところではございますが、本ページ「Wikipedia:井戸端/subj/研究者、学者のページについて。」や「Wikipedia:井戸端/subj/ある特定の外部サイトに対する過剰な配慮、忖度について」における議論の大意を踏まえて、ご理解いただけると幸いです……。

なお、関連する議論として

を挙げておきます。--Assemblykinematics会話2018年12月29日 (土) 22:48 (UTC)[返信]

コメント 念のため、

についてもご案内申し上げます。また、関連するガイドラインの記述として、

導入文の第1文はその項目の主題についての定義を書きます。その理由として次のことが挙げられます。
(中略)外部検索サイトで検索しやすくなる―Googleなど外部の検索サイトの中には、検索結果にそのページの一部が表示されるものがあります。そのとき、項目名を主題にした定義がかかれていると、その項目名で検索したときにその定義が検索結果に表示されやすくなるので、読者が読みたいものかどうか判別しやすくなります。 — Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#定義より

についても引用しておきます(念のため補足しておきますが、第1文に定義を書く理由として挙げられているもので、検索結果の表示を参照せよというガイドラインではありません。ただ、検索サイトでの表示をWikipedia側がガイドラインで全く考慮していない訳ではない、ということで提示しておきます。)。--Assemblykinematics会話2019年1月11日 (金) 14:59 (UTC)[返信]

井戸端への読み込みの期限切れ[編集]


このサブページは数日前に期限切れになったことをお知らせします。ここはあくまで井戸端ですので、突き詰めた議論が必要なら、ガイドライン・プロジェクトのページ等で正式に議論されるのが宜しいかと思います。 --2001:240:241D:18B:F46D:1F0D:D9DD:D0ED 2018年12月3日 (月) 01:02 (UTC)[返信]

コメント 井戸端への読み込みが解除されただけであって、「期限切れになった」わけではありませんよ。--モロダス・ドーン会長会話2018年12月4日 (火) 11:05 (UTC)[返信]
報告 議論が長くなっており、また途中に論点が変わったりもしていましたので、小節を設けさせていただきました。また、それに合わせてインデントも調整させていただきましたので、ご報告申し上げます……。--Assemblykinematics会話2018年12月29日 (土) 22:48 (UTC)[返信]