MG・メトロ6R4
MG・メトロ6R4とは、MGブランドでブリティッシュ・レイランドが開発したグループB車両である。
名前は6気筒(6cylinder )・ラリー(rally )・4WDに由来する[1]。
概要
ローバー・メトロのMG版をベースに製作された。開発にはウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリングや、イギリスの駆動系メーカーのジャックナイトなどが関わっているとされる。
奇しくもランチア・デルタS4と同じシーズンの発表だけありその印象こそ薄いものの、1985年に発表されたメトロ6R4には、ローバー製V型8気筒エンジンをベースとし2気筒をカットして作られた、最高出力380-410PS[1]/8,500 rpm(ロードバージョン250PS)、最大トルク31kg-m/6,500rpmを誇る総アルミニウム製の90度V型6気筒[1]DOHC[1]24バルブ[1]エンジンを縦置きに搭載。前後トルク配分35対65のビスカス式のセンターデフを介して駆動する4WDとした。グループBの中でトップ争いをしている車には必須とされていたターボを、レスポンスのためにあえて採用せず、総排気量2,991ccの大排気量NAとした。
フレームは、メトロのモノコックフレームをベースにしながらも、後半部を鋼管で作り変えられていた。 ボディは、コンパクトカーベースゆえ極端に短い2,412mmのホイールベースを補うために、前後のトレッドを1,510/1,550(mm)としている。この数値は、BNR34型日産・スカイラインGT-Rのトレッドを優に越す数値である。
F1チームがかかわっていることもあり、空力性能はグループBの車のなかでも良かった。しかし、川や大きな水溜りがあるセクションなどでは、水を横ではなく、真上に吹き上げてしまうため、遠くからでも来たことが分かったようである。
生産台数はグループBの規定に準じて200台余りが生産されたが、他のグループB車両と違い、20台がファクトリーチーム用に、残りの180台はすべてプライベートレーサー達に引き渡され、結局市販車として販売されなかった。
なおメトロ6R4のロードバージョンの名前は「クラブマン」、ワークスバージョンは「インターナショナル」という名前だった。
戦歴
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WRC参戦についてはワークスチームであるMG・オースチンレーシングチームと各地プライベーターにより参戦。 活動時期は1985年RACラリーから1986年のモンテカルロ、スウェディッシュ、ポルトガル、ツール・ド・コルス、1000瑚、サンレモ、RAC・ラリーにワークス、プライベーターともに投入されたもののWRC参戦はこの1年弱と短く、アクロポリス、サファリ、ニュージーランド、アルゼンチン、コート・ジボワール等比較的コストの嵩むハードなステージには投入されなかった。
デビュー戦の1985年最終戦RACでは、トニー・ポンドが駆り、ランチア・デルタS4の1-2フィニッシュに次ぐ3位入賞。 1986年1000瑚でパー・エクルンドが7位、サンレモではマルコム・ウィルソンが4位と、WRC全体でみればポイント圏内に入ることがやっとで安定した信頼性は低いものの、ポテンシャルの高さを見せている。
グループB終了後の1987年パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムやヨーロッパラリークロス選手権(ERC)においてプジョーやアウディ、フォード勢等と参戦、その後もプライペーターにより多くのラリーイベントでその姿を観ることができた。