J・T・トーマス (ディフェンシブバック)
| J・T・トーマス
J. T. Thomas No. 24, 26 |
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| コーナーバック | |
| セイフティ | |
| 生年月日:1951年4月22日(62歳) | |
| 出身地: |
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| 身長:6' 2" =約188cm | 体重:196 lb =約88.9kg |
| NFLデビュー | |
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| 1973年(ピッツバーグ・スティーラーズ) | |
| 経歴 | |
| 大学:フロリダ州立大学 | |
| NFLドラフト:1973年 / 1巡目(全体の24番目) | |
所属チーム:
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| 通算成績 (1982年までの成績) |
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| インターセプト | 20回 |
| 出場試合数 | 125試合 |
| NFL.comよりの成績 | |
| 受賞歴・記録 | |
J・T・トーマス(J. T. Thomas 1951年4月22日- )はジョージア州メイコン出身のアメリカンフットボール選手。ポジションはディフェンシブバック。ピッツバーグ・スティーラーズでスティールカーテンと呼ばれた強力なディフェンスの一員として、4回スーパーボウル優勝を果たしている[1]。
経歴 [編集]
フロリダ州立大学初のアフリカ系アメリカ人選手となった彼は[2]、2年次の1970年には最初の試合でFGを2度ブロックした。2年次生のオールアメリカンファーストチームに選出された。1972年にはコーナーバック、セイフティでプレーし、プロフットボール・ウィークリーとタイム誌からオールアメリカンファーストチームに選ばれた[1]。
1973年のNFLドラフト1巡24位でピッツバーグ・スティーラーズに指名されて入団した。当時スティーラーズのディフェンスバックは弱点となっており、最後の穴を埋めるために指名したとチャック・ノールヘッドコーチに言われている[3]。1年目は主に控えディフェンシブバックとしてプレーした。2年目の1974年から先発選手となり5インターセプト、1TDをあげた[4]。
メル・ブラントとのコンビは強力なもので[5]、1976年にはプロボウル、オールプロ[4]に選ばれた。
1978年には血液疾患のためシーズンを全休したが、翌年セイフティとして復帰、このシーズンのみインターセプトをあげられなかった[4]。
1980年、開幕戦で足首を負傷した彼はその後控え選手としてプレーした[6]。
1981年、4インターセプトをあげた。1982年、デンバー・ブロンコスにトレードされ[3]、1シーズンプレーした後、引退した[4]。
元チームメートのラリー・ブラウンとともに1980年代後半、レストラン事業に乗り出した[2][7]。
脚注 [編集]
- ^ a b “J.T. Thomas”. nolefan.org. 2012年7月8日閲覧。
- ^ a b “J.T. Thomas”. ピッツバーグ・マガジン (2008年1月). 2012年7月8日閲覧。
- ^ a b “J.T. Thomas, Steelers Cornerback, 1973-1982”. Pittsburgh Sports Daily Bulletin (2011年12月16日). 2012年7月8日閲覧。
- ^ a b c d JW Nix (2009年6月19日). “The Almost All-Time Pittsburgh Steelers Defense”. bleacherreport.com. 2012年7月8日閲覧。
- ^ “Top Ten Cornerback Tandems: Mel Blount and J.T. Thomas.”. NFLフィルムズ (2009年7月1日). 2012年7月8日閲覧。
- ^ “Steelers trade J.T.Thomas”. ゲティスバーグ・タイムズ (1982年8月19日). 2012年7月8日閲覧。
- ^ Ray Marano (2003年9月22日). “Coaching and mentoring”. sbnonline.com. 2012年7月8日閲覧。
外部リンク [編集]
- 通算成績と情報 NFL, or Pro-Football-Reference, or DatabaseFootball (英語)
- J・T・トーマス - インターネット・ムービー・データベース(英語)
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