HG76船団

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HG76船団
第二次世界大戦
1941年12月14日
場所 北大西洋
結果 イギリスの勝利
衝突した勢力
Naval Ensign of the United Kingdom.svg イギリス War Ensign of Germany 1938-1945.svg ナチス・ドイツ
指揮官
フレデリック・ジョン・ウォーカー中佐 カール・デーニッツ
戦力
護衛空母1隻
駆逐艦3隻
スループ4隻
コルベット9隻
商船32隻
潜水艦10隻
被害者数
護衛空母1隻
駆逐艦1隻
商船2隻
潜水艦5隻

HG76船団は、第二次世界大戦中に連合国が運航したジブラルタルからイギリスに戻る護送船団のひとつ。商船32隻とフレデリック・ジョン・ウォーカー中佐率いる17隻の護衛艦群がドイツの潜水艦Uボートの攻撃を受けたが、損害を出しつつもUボートを沈め船団の多くを守りぬいた。

編制[編集]

この船団は32隻の船で構成されていた。護衛は

であった。

これに対するドイツ海軍はUボートのウルフパック部隊「ゼーロイバー」[1](U-67、U-107、U-108、U-127、U-131、U-434、U-574)であった。さらに、後から3隻のUボート(U-71、U-567、U-751)が加わった。

運航経過[編集]

HG76船団は1941年12月14日、ストーク座乗のウォーカー中佐率いる護衛艦群の護衛されてにジブラルタルから出航した[2]。ウルフパックゼーロイバーはサン・ヴィセンテ岬の南に哨戒線を形成したが、船団はそれに発見されること無く通過した。

この時U-127は、ジブラルタルへ向かう途中だったオーストラリア海軍駆逐艦「ネスター」を含む4隻の駆逐艦部隊に発見された[3]。ネスターは砲撃を行い、U127が潜航すると爆雷を投下した[3]。また、同行していたほかの駆逐艦も爆雷攻撃をおこなった。この攻撃によりU-127は撃沈された[4]

12月16日、ボルドーから飛来したFw 200によって船団は発見された。これにより、U-108が船団と接触し追跡を開始した。また、他のUボートも接近した。17日朝までには4隻のUボートが船団と接触した。同日、浮上したU-131をオーダシティのマートレットが発見[5]。ストーク、エクスムア、ブランクネイ、スタンレー、ペンステモンが現場へ急行し潜航したU-131を爆雷で攻撃した[5]。電池切れが近くなったU-131は浮上したが、スタンレーがそれを発見し、3隻の駆逐艦とペンステモンが攻撃に向かった[6]。また、マートレット1機がU-131を銃撃しようとしたが逆に撃墜された[7]。U-131は砲撃を受けて沈没した[7]

18日、スタンレーがU-434を発見し、エクスムア、ブランクネイがデットフォードが攻撃に向かった[8]。潜航したU-434はブランクネイから攻撃と体当たりを受け浮上後沈没した。この際、ブランクネイは損傷した。U-434はスタンレーに対して魚雷1本を発射しているが命中しなかった[8]

18日、ブラックスワン、フォウィ、カーネイション、ラ・マローニが燃料補給のためジブラルタルへ向かった。また、ブランクネイも修理のためエクスムアに護衛されて船団から離れた。

18日夕刻、ペンステモンが浮上中のU-574を発見した[9]。U-574は浮上したまま逃走し、コンヴォルヴルスに対して魚雷2本を発射したが外れた[9]。そのままイギリス側はU-574を見失ったが、今度はスタンレーが潜水艦発見を報告[9]。スタンレーの発行信号を視認したU-547は魚雷2本を発射し、それが命中したスタンレーは沈没した[9]。全護衛艦艇が現場へと向かい、U-574は浮上して逃走[10]。ストークが追いつくとU-574は潜航したが爆雷攻撃を受けて損傷し再び浮上し、ストークから砲撃や銃撃を受けたと衝突され沈んだ[10]。この戦闘の後、貨物船ラッキンジ(Ruckinge、2869トン)がU-108の雷撃を受け被雷[10]。ラッキンジはサムファイアによって処分された。

19日、船団はFw 200による攻撃を受けるが損害は無く、オーダシティの艦上戦闘機マートレットが2機を撃墜し1機を損傷させた。また、この日U-71、U-567、U-751がボルドーから出撃した。この3隻が到着するまでの間、U-67、U-107、U-108の3隻は追跡を続け攻撃をおこなったが、戦果はなかった。

21日、ボルドーからの3隻も加わり、Uボートによる攻撃が行われた。まずノルウェー貨物船アンナヴォーレ (Annavore) がU-567の雷撃により沈没[11]。次いでオーダシティがU-751の雷撃により沈められた[12]。同じ夜、デットフォードがU-567を沈めた。だが、その後デットフォードはストークをUボートと誤認して体当たりを行い、ストークに収容されていた捕虜2名が死亡した[13]

22日、船団に駆逐艦ヴァンキッシャーウィッチが加わった。

12月23日、潜水艦隊司令カール・デーニッツは攻撃を中止させ、Uボートはフランスに帰還した。

12月27日、船団はリヴァプールに到着した[13]

結果[編集]

護衛空母オーダシティと他3隻を失ったが、30隻の船を無事に目的地に到着させ、3隻のUボートを撃沈(U-127は含まれない。また、U-567の撃沈は戦後になるまで確認されなかった)したことは大勝利であると判断された。この後、護衛艦群の指揮官であったウォーカー中佐は「恐るべき敵からの攻撃に晒された、我が国にとって貴重な護送船団を護衛し、その間、我らの部隊により彼らの潜水艦と航空機を破壊した、その勇気、手腕、そして決断力」との理由によりDistinguished Service Order英語版(DSO)を受勲した[14]

脚注[編集]

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  1. ^ ドイツ語で「海の泥棒」あるいは「海賊」の意。
  2. ^ 大西洋戦争 上、202ページ
  3. ^ a b Royal Australian Navy, 1939–1942, p.407
  4. ^ Royal Australian Navy, 1939–1942, p.408
  5. ^ a b 大西洋戦争 上、204ページ
  6. ^ 大西洋戦争 上、205-206ページ
  7. ^ a b 大西洋戦争 上、206ページ
  8. ^ a b 大西洋戦争 上、207ページ
  9. ^ a b c d 大西洋戦争 上、208ページ
  10. ^ a b c 大西洋戦争 上、209ページ
  11. ^ 大西洋戦争 上、212ページ
  12. ^ 大西洋戦争 上、212-213ページ
  13. ^ a b 大西洋戦争 上、214ページ
  14. ^ The London Gazette: (Supplement) no. 35407. p. 135. 1942年1月2日2008年1月24日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

参考文献[編集]