FIAT2000

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FIAT2000
Fiat2000.jpg
性能諸元
全長 7.40 m
全幅 3.1 m
全高 3.8 m
重量 40 t
速度 4~6 km/h
行動距離 75 km(燃料容量600~1,000L、舗装道路)
主砲 17口径 65 mm砲(山砲・歩兵砲)×1(-10°~+75°)
副武装 6.5 mm 機関銃×7
装甲 15 - 20 mm
エンジン フィアット・アヴィアジオーネ A.12 水冷直列6気筒ガソリンエンジン 240hp
乗員 10 名
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FIAT2000 は、イタリアのイタリアが開発した最初の戦車

概要[編集]

1917年フィアットにより計画され、1917年に1輌、1918年に1輌の計2輌が試作された。50輌が発注されたが、生産はされなかった。開発にはフランスから購入したシュナイダーCA1が参考にされた。

40トンもの重量は、ドイツKワーゲンの150トン以上を例外とすれば第一次世界大戦中に生産された最も重い車両となる。

2輌の試作車両の完成は砲塔の形状やハッチの配置、装甲の配置の検討などのために延期されていった。

車体上面には旋回式の単砲塔を備え、プロトタイプは円錐形の、1918年型は半球状の形状をしていた。砲塔には1913年型17口径65mm砲(山砲・歩兵砲)を備えていた。

車体全周を囲むように7箇所に6.5mm機関銃が装備された。

装甲厚は前面20mm、側面15mmであった。車体前面中央の曲面は操縦手用のフードで、操縦手用の視察窓を備えていた。

エンジンはフィアット・アヴィアジオーネ社(Fiat Aviazione)の航空機用の水冷直列6気筒ガソリンエンジン 「A.12」を転用した。

最後の車輌は、1934年の時点では、前方2つの機関銃を、40口径37mm半自動砲に換装していた。

運用[編集]

唯一の活躍は、1919年にFIAT2000が1輌とルノー FT-17(二つの小隊のみが利用することができた)が3輌で構成された二つの小隊がトリポリタニアに派遣され、ミスラータ地区でのリビア反抗組織に対する政治行動として「攻撃車両による自立戦闘」を行ったことである。

FIAT2000が最後に存在を示したのは、1936年のコッラード・マッツォーニ兵舎(ボローニャ)においてであり、第3戦車歩兵連隊において記念碑のような扱いで利用された。

参考文献[編集]

AAVV - L'armamento italiano nella seconda guerra mondiale, Carri armati 1 - Edizioni Bizzarri, Roma 1972