高木喜寛

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高木 喜寛
(たかぎ よしひろ)
高木喜寛
生誕 (1874-11-10) 1874年11月10日
日本の旗 日本 東京府
死没 (1953-01-22) 1953年1月22日(78歳没)
研究分野 医学
研究機関 東京慈恵会医科大学
出身校 キングス・カレッジ・ロンドン
セント・トーマス医科大学
プロジェクト:人物伝
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高木 喜寛(たかぎ よしひろ、1874年明治7年)11月10日[1] - 1953年昭和28年)1月22日[2])は、日本医学者貴族院議員。男爵

概要[編集]

1874年11月10日、日本初の医学博士となる高木兼寛の長男として東京に生まれる。父兼寛は海軍軍医として脚気撲滅で著名であり、父に同じく医学の道に進んだ。また、英国留学中にラグビーを親しみ、日本ラグビーフットボール協会初代会長も務めた。

1923年(大正12年)6月16日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[3]公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。墓所は青山霊園(1イ10)。

年譜[編集]

大学在学中、ラグビーに出会い、熱中する。

家族[編集]

妻・志摩(1884-1989年)の兄弟は有島武郎有島生馬里見弴[4]。志摩との間に長女・園子、長男・秀寛、次男・兼光、次女・美代子の2男2女をもうけた[5]。園子は西洋古典学者・呉茂一の先妻[5]。孫(秀寛の娘)にユミ・シャロー

脚注・出典[編集]

  1. ^ 『高木兼寛伝』(東京慈恵会医科大学創立八十五年記念事業委員会、1965年)p.329
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』76頁。
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、31頁。
  4. ^ 『日本の有名一族』99-101頁。
  5. ^ a b 『人事興信録 第8版』タ95頁。

参考文献[編集]

  • 『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 小谷野敦 著 『日本の有名一族 近代エスタブリッシュメントの系図集』幻冬舎幻冬舎新書〉、2007年平成19年)9月30日第1刷発行、ISBN 978-4-3449-8055-6

関連項目[編集]


日本の爵位
先代
高木兼寛
男爵
高木(兼寛)家第2代
1920年 - 1947年
次代
華族制度廃止