飯野光浩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
飯野 光浩
ニュー・ケインジアン
生誕 1969年10月
国籍 日本の旗 日本
研究機関 静岡県立大学
研究分野 開発経済学
開発援助論
国際経済関係論
母校 青山学院大学
国際政治経済学部卒業
横浜国立大学大学院
経済学研究科
修士課程修了
慶應義塾大学大学院
経済学研究科
後期博士課程単位取得退学
学位 修士(経済学)
(横浜国立大学・1994年
実績 開発マクロ経済モデル
観点からの
途上国新興国
経済問題の研究
日本の開発協力と
中国をはじめとする
新興・途上国の
対外協力に関する研究
テンプレートを表示

飯野 光浩(いいの みつひろ、1969年10月 - )は、日本経済学者開発経済学開発援助論国際経済関係論)。学位は、修士(経済学)横浜国立大学1994年)。静岡県立大学国際関係学部講師・大学院国際関係学研究科講師。

静岡県立大学国際関係学部助手、静岡県立大学国際関係学部助教などを歴任。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

1969年(昭和44年)10月生まれ[1]青山学院大学に進学[2]国際政治経済学部国際経済学科にて学んだ[2]1992年(平成4年)3月、青山学院大学を卒業した[2]。その後、横浜国立大学大学院に進学[2][† 1]経済学研究科国際経済学専攻にて学んだ[2]1994年(平成6年)3月、横浜国立大学大学院修士課程修了[2]に伴い、修士(経済学)の学位を取得[3]。さらに、慶應義塾大学大学院に進学[2]、経済学研究科経済学専攻にて学んだ[2]1998年(平成10年)5月、慶應義塾大学大学院後期博士課程を単位取得退学した[2]

経済学者として[編集]

1998年(平成10年)6月、静岡県立大学国際関係学部助手に就任[4][† 2]。また、2000年(平成12年)9月から2003年(平成15年)3月にかけて、国際協力事業団ミャンマー経済構造調整支援タスクフォース委員を兼任した[5][† 3]。その後、静岡県立大学が静岡県から静岡県公立大学法人に移管された後も、引き続き同大学で勤務。また、学校教育法の改正に伴い、2007年(平成19年)4月より国際関係学部の助教となった[4]2011年(平成23年)4月、静岡県立大学国際関係学部講師に昇任[4]、主として国際関係学科の講義を担当した[1]。静岡県立大学大学院国際関係学研究科講師を兼務[1]、主として国際関係学専攻の講義を担当した。

研究[編集]

専門は経済学。特に、開発経済学[6]開発援助論[6]国際経済関係論[6]を研究した。具体的には、開発マクロ経済モデル観点から農村の農業を分析することで[7]発展途上国新興国における経済問題を研究した[7]。また、日本による開発協力と[7]中華人民共和国などの新興国や発展途上国による対外協力について[7]、研究した[7]。さらに、ニューケインジアン一般均衡モデルを応用することで[7]先進国と新興国の経済について研究した[7]

日本経済学会[8]・日本国際経済学会[8]などに所属。

略歴[編集]

脚注[編集]

註釈[編集]

  1. ^ 横浜国立大学は、のちに国から国立大学法人横浜国立大学に移管された。
  2. ^ 静岡県立大学は、のちに静岡県から静岡県公立大学法人に移管された。
  3. ^ 国際協力事業団は、のちに独立行政法人国際協力機構の源流の一つとなった。

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 飯野 光浩 - researchmap
  • 飯野 光浩 - J-GLOBAL
  • 飯野 光浩 - KAKEN 科学研究費助成事業データベース
  • 論文一覧(KAKEN
  • 日本の研究.com:729136
  • 静岡県立大学国際関係学部 飯野光浩のHP | 講義やゼミのテキストの掲示 - 飯野が所属する研究室の公式ウェブサイト
  • USフォーラム2013 ハイライト 超円高下における静岡経済企業 - YouTube(飯野のUSフォーラムでの発表)