金一 (政治家)

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朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮の政治家
金一
김일
生年月日 1910年3月10日
出生地 Flag of Korea (1882-1910).svg 大韓帝国咸鏡北道
没年月日 1984年3月9日(満73歳没)
死没地 朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮平壌
所属政党 朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党

朝鮮民主主義人民共和国の旗 国家副主席
任期 1976年4月29日 - 1984年3月9日
国家主席 金日成

内閣 金一内閣
任期 1972年12月28日 - 1976年4月29日
国家主席 金日成

朝鮮民主主義人民共和国の旗 内閣第一副首相
内閣 金日成内閣
任期 1962年10月23日 - 1972年12月28日
内閣首相 金日成(事実上の元首)

朝鮮民主主義人民共和国の旗 内閣副首相
内閣 金日成内閣
任期 1954年3月 - 1962年10月23日
内閣首相 金日成(事実上の元首)
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金一
各種表記
ハングル 김일
漢字 金一
発音: キム・イル
日本語読み: きん・いち
ローマ字 Kim Il
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金 一(キム・イル、김일1910年3月10日 - 1984年3月9日)は、朝鮮民主主義人民共和国政治家。国家副主席、政務院総理首相)、朝鮮労働党中央委員会政治局常務委員などの要職を歴任した。 

経歴[編集]

咸鏡北道で誕生。1932年から朝鮮共産党の地下活動や大衆団体の扇動を積極的に展開。1935年10月に朝鮮人民革命軍(朝鮮人民軍の前身)に入隊後、主要な軍事政治幹部として、金日成とともに朝鮮解放のために闘う。

1945年8月に朝鮮が解放されると、11月にモスクワを出て、12月中旬に北朝鮮に到着[1]。その後、朝鮮共産党の党中央執行委員に就任。翌1946年4月に北朝鮮労働党中央委員会常務委員兼政治委員となり、9月には第一部文化部副師団長を兼ね、朝鮮人民軍の強化発展に寄与した。1948年の朝鮮民主主義人民共和国建国に際し、第1期最高人民会議代議員に選出され、以後、死去するまで代議員を務める。朝鮮戦争1950年 - 1953年)では朝鮮人民軍文化部司令官、民族保衛省副相(次官)[2]、内務省政治局長、前線司令部軍事委員、平安南道の党委員会委員長を歴任。

1953年6月には朝鮮労働党中央委員会書記に就任。同年8月、第2期党中央委員会第6回総会において新設の党中央委員会副委員長に選出された[3]1954年3月、内閣副首相に任命され、翌月には農業相(大臣)を兼任。朝鮮戦争後の復興と社会主義の基礎建設に関する政策を進めて党の路線を整備した。1956年4月の第3回党大会において党常務委員会委員(政治局員)に選出され、党内序列第4位となる[4]1962年10月23日、第一副首相に昇格。1966年10月の第2回党代表者会において、党政治委員会常務委員(政治局常務委員)・中央委員会書記となる。

1972年12月27日、第5期最高人民会議第1回会議で朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法が制定され、内閣が政務院に改組された。12月28日、金一は初代の政務院総理(首相)に任命された。1976年4月29日、国家副主席に転任。金一は首相や国家副主席として北朝鮮の対外活動を主導し、1979年には祖国平和統一委員会委員長も兼ねて、韓国との交渉にあたった。1980年10月の第6回党大会で党政治局常務委員に再選。

1984年3月9日、国家副主席在職のまま死去。

金一と金正日[編集]

北朝鮮では、金一が金正日を金日成の後継者として強く推薦したとされている。1974年2月の第5期党中央委員会第8回総会で、金日成(党総書記・国家主席)が金正日(党書記)の党政治局員選出について、金正日の若さを理由に政治局員就任を躊躇していたが、金一が率先して金正日の党政治局員選出と後継者擁立を主張した。他の幹部もこれに追随し、この結果、金正日が後継者として扱われるようになったというのである[5]

脚注[編集]

  1. ^ 下斗米伸夫『モスクワと金日成』(岩波書店、2006年)、47ページ。
  2. ^ 「敗北主義」を理由に50年末に解任。下斗米(2006年)、115ページ。
  3. ^ 下斗米(2006年)、147ページ。
  4. ^ 下斗米(2006年)、209ページ。
  5. ^ 重村智計『北朝鮮データブック』(講談社〈講談社現代新書〉、1997年)、43 - 44ページ。


 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
先代:
金日成
(内閣首相)
政務院総理
1972年 - 1976年
次代:
朴成哲