北見鉄道

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野坂駅から転送)
北見鉄道
止別駅舎横にある分岐跡石碑
止別駅舎横にある分岐跡石碑
止別駅舎横にある分岐跡石碑
路線総延長8.89 km
軌間1067 mm
停車場・施設・接続路線
STR
国鉄釧網本線
HST
止別
eABZgl exSTR+r
STR exBHF
0.0 仮止別
STRr exSTR
釧網本線
exBHF
3.8 野坂
exmABZg+r
小清水軌道
exmBHFe
8.7 小清水
uexSTR
小清水軌道

北見鉄道(きたみてつどう)は、かつて北海道斜里郡小清水町にあった鉄道事業者、あるいは同社が運営する鉄道路線である。

路線データ[編集]

  • 路線距離:仮止別 - 小清水間8.89km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:3

沿革[編集]

運行[編集]

開業時から、国鉄釧網本線の列車に接続して1日4往復の混合列車が設定されており、所要時間は25分であった。1937年には、ガソリン動車の投入にともなって3往復が増発されたが、日中戦争の勃発により統制が進んでガソリンの入手が困難となり、結局のところ翌年の1938年4月には元の4往復に戻ってしまった。

駅一覧[編集]

仮止別駅(かりやむべつ)0.0km - 野坂駅(のさか)3.8km - 小清水駅(こしみず)8.7km

全線が単一閉塞

輸送・収支実績[編集]

年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1930 13,431 1,168 5,324 12,945 ▲ 7,621 4,248
1931 8,715 1,077 報告書未着
1932 13,622 2,062 6,654 15,046 ▲ 8,392 雑損2,545 7,205 6,148
1933 17,063 4,784 8,612 17,643 ▲ 9,031 雑損27,543 17,640 15,261
1934 28,119 17,689 18,720 23,047 ▲ 4,327 雑損8,589 12,712 16,039
1935 33,471 31,230 28,952 23,811 5,141 減資差益金100,000 雑損償却金29,897 8,784 16,087
1936 31,598 14,429 19,701 19,234 467 雑損償却金6,254 8,677 16,643
1937 27,139 20,120 27,767 26,866 901 雑損償却金6,875 8,367 16,834
  • 鉄道統計資料、鉄道統計各年度版

車両[編集]

1930年の開業時には、蒸気機関車2両、客車3両、貨車3両が在籍した。1939年の廃止までの間に、蒸気機関車のべ4両、ガソリン動車1両、客車3両、貨車3両が所属したが、新製車は1両もなく、すべて中古車であった。

蒸気機関車[編集]

11(A2形)
1895年イギリスナスミス・ウィルソン製の車軸配置0-6-0 (C) のタンク機関車である。前歴は鉄道省の1681(1680形)であったが、さらにその前は2代目水戸鉄道11 ← 鉄道院1110(1100形) ← 北越鉄道2であった。鉄道省からは由仁軌道に工事用として譲渡されていたものだが、同軌道が未成に終わったのを受けて、1930年2月に譲受した。1935年(昭和10年)7月に車体の破損を理由として廃車、解体された。
1812(1800形
1896年イギリスのキットソン製の車軸配置0-6-0 (C) のタンク機関車である。前所有者は鉄道省で、元は北越鉄道が輸入したものである。1930年1月に譲り受けはしたものの、当鉄道では軸重が過大[7]で使用できず、同年3月には竣工届も出されないまま廃棄された
7211, 7218(7200形
1896年製アメリカのボールドウィン製の車軸配置2-6-0 (1C) のテンダー機関車である。元は北海道炭礦鉄道(29, 40)。1812が軸重過大で使用できなかったのを受け、代機として7218を1930年3月に、7211を1933年8月に追加購入したが、廃止後の1940年外地へ売却された[8]

ガソリン動車[編集]

キハ1(キハ1形
1937年7月、休止となった札幌郊外電気軌道から購入したガソリン動車である。車体長6m(全長7.05m)、定員32人(座席14人)の半鋼製2軸式小型ガソリン動車であった。ガソリン消費統制によりガソリンエンジンを降ろしてハ1となった。本鉄道廃止後、小名浜臨港鉄道に譲渡され、客車として戦後まで使用された。

客車[編集]

ハ20 - ハ22(ハ20形)
開業用として1930年4月、定山渓鉄道から譲り受けた木造2軸客車で、その前は鉄道作業局フハ3388 - フハ3390、さらにその前は北海道官設鉄道へ5 - へ7であった。1897年北海道庁鉄道部月島仮工場製とされるが、1907年に本州から転属してきたものとする説もある。また、形式図上は1907年8月製とされている。廃止後は現地で解体された。

貨車[編集]

ワ50(ワ1形)
1895年鉄道作業局新橋工場製の木造2軸有蓋車である。前所有者は鉄道省で、旧番はワ7171(ワ1形)であった。荷重10t。廃止後は小名浜臨港鉄道に譲渡され、有蓋緩急車(ワフ50)に改造のうえ、1965年まで使用された。
ト30, ト31(ト1形)
1888年、1895年鉄道作業局新橋工場製の2軸木造無蓋車である。旧番はト6230, ト8737(ト6000形)とされるが、鉄道院側の記録では1897年平岡工場、1896年総武鉄道工場製となっている。荷重は10t。廃止後はト30が小名浜臨港鉄道に譲渡され、ト3として使用されたが、ト31の消息は明らかでない。

脚注[編集]

  1. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1927年6月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 「鉄道免許一部失効」『官報』1930年1月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1930年6月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 「鉄道営業廃止実施」『官報』1939年9月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 北見バス『北見バス20年』(1963年)p20
  7. ^ 北見鉄道の軌道負担力が11.45tであったのに対し、1812は軸重が14tもあった。
  8. ^ 臼井茂信が2月9日に東横浜駅構内に留置されているのを実見しており、15日に8号岸壁に回送されたという。『古典ロコ No.2』(復刻アテネ書房)31頁

参考文献[編集]