紀元前576年

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紀元前576年(きげんぜん576ねん)は、西暦ローマ暦)による年。紀元前1世紀共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元178年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前576年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法[編集]

できごと[編集]

中国[編集]

  • 厲公成公献公成公成公世子成国佐らが戚で会合し同盟した。
  • 晋が曹の成公を捕らえて、洛陽に送った。
  • が鄭に侵入して暴隧にいたり、衛に侵入して首止に及んだ。
  • 鄭の子罕(公子喜)が楚に侵入して新石を奪った。
  • 宋の蕩沢(子山)が公子肥を殺害した。華元が晋に亡命した。魚石がこれを引き止め、蕩沢処断の要求を魚石が認めると、華元は帰国した。宋の華喜と公孫師が蕩氏を攻め、蕩沢を殺害した。魚石は楚に亡命した。
  • 晋の士燮・斉の高無咎・魯の叔孫僑如・宋の華元・衛の孫林父、鄭の公子鰌らがと鍾離で会合した。
  • 許が葉に国を遷した。

誕生[編集]

死去[編集]

脚注[編集]