百万一心
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百万一心(ひゃくまんいっしん)とは吉田郡山城の工事の際に毛利元就が人柱の替りに使った石碑に書いてあった言葉である。
百万一心とは「一日一力一心」とも読め、「国人が皆で力を合わせれば、何事も成し得る」という意味である。しかし本当に毛利元就が言った言葉かどうかは定かではない。百万一心碑を人柱の代用にすること自体は、毛利元就の居城吉田郡山城が尼子詮久軍に包囲された際(吉田郡山城の戦い)に、陶隆房(晴賢)と共に毛利軍の救援に駆けつけた大内軍の将・弘中隆包(隆兼)の助言によるものという説もある。
この石碑は1816年、長州藩士だった武田泰信が発見し、拓本の要領で写しを取った後、1882年に写し取った拓本を毛利元就を祭る豊栄神社に奉納した。その後、吉田全町をあげて必死に郡山全山を探索したものの、礎石の実物は発見されなかった。
現在、吉田郡山城跡の中にある毛利一族の墓所境内には、その拓本を元に模刻した石碑が建てられている。

