田出井山古墳
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| 田出井山古墳 | |
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田出井山古墳 堺市役所21F展望ロビーから撮影 (2007年5月11日撮影) |
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| 位置 | 北緯34度34分32.69秒 東経135度29分18.26秒 |
| 所在地 | 大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁 |
| 形状 | 前方後円墳(二重濠) |
| 規模 | 全長148m 前方部高さ15m |
| 築造年代 | 5世紀後半 |
| 被葬者 | 反正天皇(宮内庁治定) |
| 出土品 | 埴輪など |
| 史跡指定 | 宮内庁治定(百舌鳥耳原北陵) |
田出井山古墳(たでいやまこふん)は、大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁にある前方後円墳。
[編集] 概要
百舌鳥古墳群の北端に位置し、全長約148m、後円部径約76m、高さ約14m、前方部幅約110m、高さ約15mで、百舌鳥古墳群の中では7番目の大きさである。墳丘は3段に築かれ、かつては二重濠があったと確認されている。墳丘の形態や出土した埴輪より、5世紀後半頃に造築されたと考えられている。陪塚と推定される古墳が数基現存している。
反正天皇の陵墓に比定され、「百舌鳥耳原北陵」(もずのみみはらのきたのみささぎ)として宮内庁によって管理されている。ただし、被葬者は不明。また、天皇陵に比定されている百舌鳥耳原三陵のなかで、他の2つの古墳(大仙陵古墳、上石津ミサンザイ古墳)と比べて規模がかなり小さいことから、反正天皇陵であることを疑問視する意見も多く、なかには土師ニサンザイ古墳を反正天皇陵と考える者もいる。