清浄院 (越谷市)

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清浄院
所在地 埼玉県越谷市大松60
位置 北緯35度56分07.7秒 東経139度48分42.2秒 / 北緯35.935472度 東経139.811722度 / 35.935472; 139.811722座標: 北緯35度56分07.7秒 東経139度48分42.2秒 / 北緯35.935472度 東経139.811722度 / 35.935472; 139.811722
山号 榮廣山
院号 清浄院
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 鎌倉時代後期
開山 賢真
開基 新方氏
中興年 戦国時代中期
中興 高賢
文化財 木造阿弥陀如来坐像2体(越谷市指定有形文化財)、清浄院開山塚(越谷市指定史跡)
公式サイト 栄広山浄土寺清浄院
法人番号 5030005010128 ウィキデータを編集
清浄院の位置(埼玉県内)
清浄院
清浄院
清浄院 (埼玉県)
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清浄院(しょうじょういん)は、埼玉県越谷市にある浄土宗寺院

歴史[編集]

鎌倉時代後期、新方氏の開基である。当地は金沢流北条氏所領となっており、新方氏は所領の管理人の役割を果たしていた。金沢北条氏の文庫金沢文庫」には、当院の経緯を記した古文書が残されている[1][2]

その後の戦国時代の兵乱で新方氏が滅亡、当寺も廃寺に追い込まれたが、新方氏の残党が決起して、まもなく寺が再興された[2]

1648年慶安元年)、江戸幕府第3代将軍徳川家光より寺領12が与えられた。それとともに増上寺の末寺となり、歴代将軍の位牌を祀っている[1]

文化財[編集]

  • 木造阿弥陀如来坐像(越谷市指定有形文化財 平成2年2月20日指定)[3]
  • 木造阿弥陀如来坐像(越谷市指定有形文化財 平成2年2月20日指定)[3]
  • 清浄院開山塚(越谷市指定史跡 昭和52年1月25日指定)[3]

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 由緒と歴史清浄院
  2. ^ a b 岩井茂 著『清浄院≪越谷≫(さきたま文庫56)』さきたま出版会、1999年、6-24p
  3. ^ a b c 越谷市の指定文化財越谷市

参考文献[編集]

  • 岩井茂 著『清浄院≪越谷≫(さきたま文庫56)』さきたま出版会、1999年

外部リンク[編集]