浅間山古墳 (高崎市倉賀野町)

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浅間山古墳
位置 北緯36度17分55.73秒
東経139度02分01.70秒
所在地 群馬県高崎市倉賀野町上正六
形状 前方後円墳
規模 墳丘長171.5m
高さ14.1m
築造年代 5世紀前半
被葬者 不明
出土品 円筒埴輪形象埴輪
史跡指定 国の史跡「浅間山古墳」
特記事項 東日本第3位/群馬県第2位の規模
佐紀陵山古墳奈良県奈良市)の5分の4相似形[1]
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浅間山古墳(せんげんやまこふん)は、群馬県高崎市倉賀野町字上正六にある前方後円墳1927年昭和2年)4月8日に国の史跡に指定されている[2]

群馬県内では太田市太田天神山古墳に次ぐ第2位の規模である。また、関東地方では太田天神山古墳、茨城県舟塚山古墳に次いで第3位の規模を誇る。古墳時代中期(5世紀前半代)の築造と推定される。

概要[編集]

浅間山古墳のステレオ空中写真(1986年) 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

浅間山古墳は、高崎市の東南の平野部に位置する。倉賀野町に所在する大鶴巻古墳(全長122メートル、国の史跡)・小鶴巻古墳(全長80メートル)など他の前方後円墳のなかでも最大規模を有する[3]。付近には古墳時代初期から後期にかけて各時期の古墳群が形成されている。

群馬県では太田市にある宝泉(ほうせん)茶臼山古墳[4]とともにこの時期を代表する前方後円墳である。

規模・形状[編集]

墳丘の全長171.5メートル、後円部径105.2メートル、前方部幅74.8メートル、高さは後円部14.1メートル、前方部5.5メートルの規模を有する。前方部を南東に向けており[3]、墳丘は二段築成で、後円部頂は径およそ15メートルである。葺石が葺かれ、円筒埴輪および形象埴輪(器財・家形埴輪)が並んでいたと考えられている。

周りには、幅約30メートルの周濠とその外側に20 - 30メートル幅の中堤を巡らし、さらに外濠も造っていたものと推測されている。堀も含めた全長は250メートル、幅170メートルに達する[3]

副葬品・埋葬施設[編集]

埋葬施設は明確でないが、竪穴形の粘土槨である可能性が指摘されている。[5]

脚注[編集]

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  1. ^ 若狭徹「太田天神山古墳と毛野の政権」『歴史読本 2015年1月号』KADOKAWA、2014年、pp. 60-63。
  2. ^ 指定基準は、「一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡」である。
  3. ^ a b c 大塚・小林(1982)p.158
  4. ^ 全長168メートルの前方後円墳で周濠をもち、本格的な埴輪特殊器台・特殊壺、朝顔形埴輪、円筒埴輪)を樹立している。
  5. ^ 本項は、参考文献の『図説 日本の史跡 第2巻 原始2』(1991年)70ページ梅沢重昭「浅間山古墳」を参照した。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]