浅間山古墳 (高崎市倉賀野町)

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浅間山古墳
Sengenyama-kofun (Takasaki) zenkei-1.JPG
全景(右手前に前方部、左奥に後円部)
位置 北緯36度17分56.21秒
東経139度2分2.26秒
座標: 北緯36度17分56.21秒 東経139度2分2.26秒
所在地 群馬県高崎市倉賀野町313ほか
形状 前方後円墳
規模 墳丘長171.5m
高さ14.1m
築造年代 4世紀末-5世紀初頭
被葬者 不明
出土品 円筒埴輪形象埴輪
史跡指定 国の史跡「浅間山古墳」
特記事項 関東地方第3位/群馬県第2位の規模
佐紀陵山古墳奈良県奈良市)の5分の4相似形[1]
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浅間山古墳(せんげんやまこふん)は、群馬県高崎市倉賀野町にある前方後円墳。国の史跡に指定されている。

群馬県内では太田市太田天神山古墳に次ぐ第2位の規模で、関東地方では太田天神山古墳、茨城県舟塚山古墳に次いで第3位の規模を誇る。4世紀末から5世紀初頭にかけての築造と推定される[2]

概要[編集]

浅間山古墳のステレオ空中写真(1986年) 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

高崎市の東南の平野部に位置する前方後円墳である。付近には古墳時代初期から後期にかけての古墳群(倉賀野古墳群)が形成され、大鶴巻古墳(墳丘長122メートル、国の史跡)・小鶴巻古墳(墳丘長80メートル)などの前方後円墳が存在するが、本古墳はそれらの中でも最大規模を有する[3]

また築造当時では東日本最大の規模で[1]、群馬県内では太田市別所茶臼山古墳(宝泉茶臼山古墳、墳丘長168メートル)と共にこの時期を代表する前方後円墳とされる。特に墳形は奈良県奈良市佐紀陵山古墳の5分の4相似形の設計と見られ、佐紀が中心を成した頃のヤマト王権と被葬者との密接なつながりが指摘される[1]

古墳は前方部を南東に向ける[3]。墳丘のうち後円部は3段築成、前方部は2段築成で、表面には葺石が葺かれ、円筒埴輪および形象埴輪(器財・家形埴輪)が並んでいたと考えられている。埋葬施設は明らかでないが、竪穴形の粘土槨である可能性が指摘されている[4]

規模[編集]

東方より全景(左に前方部、右に後円部)
後円部墳頂
  • 墳丘長:171.5メートル[5]
  • 後円部 - 3段築成。
    • 直径:105メートル
    • 高さ:14.1メートル
  • 前方部 - 2段築成。
    • 長さ:66.3メートル
    • 幅:74.8メートル
    • 高さ:5.5メートル

古墳周囲には幅約30メートルの周濠、その外側に20 - 30メートル幅の中堤が巡らされ、さらに外濠(56-65メートル)も巡らされている[2]。堀も含めた全長は250メートル、幅170メートルに達するものになる[3]

文化財[編集]

国の史跡[編集]

  • 浅間山古墳 - 昭和2年4月8日指定[6]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 若狭徹「太田天神山古墳と毛野の政権」『歴史読本 2015年1月号』KADOKAWA、2014年、pp. 60-63。
  2. ^ a b 現地説明板。
  3. ^ a b c 大塚・小林(1982)p.158
  4. ^ 梅沢重昭「浅間山古墳」 『図説日本の史跡 第2巻 原始2』(1991年)70ページ。
  5. ^ 規模の記載は現地説明板による。
  6. ^ 浅間山古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]