太田天神山古墳

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太田天神山古墳
Ōtatenjinnyama-kofun shoumen.JPG
後円部登り口
位置 北緯36度17分31秒
東経139度23分28秒
所在地 群馬県太田市内ケ島町1606-1他
形状 前方後円墳
規模 墳丘長210m
築造年代 5世紀中頃から後半
埋葬施設 凝灰岩製長持形石棺
出土品 円筒埴輪・水鳥埴輪
史跡指定 国の史跡「天神山古墳」
特記事項 全国第27位/東日本第1位の規模[1]
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太田天神山古墳のステレオ空中写真(1974年) 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
全景(2012年1月)

太田天神山古墳(おおたてんじんやまこふん)は、群馬県太田市にある前方後円墳。国の史跡に指定されている。

古墳時代中期から後期に造られたと推定される、東日本最大の前方後円墳である。

概要[編集]

墳丘長は約210メートルで、平地に造営された東日本最大の前方後円墳である。墳丘は前方部が二段築成、後円部が三段築成で、渡良瀬川水系の川原石を用いた葺石をともない、周囲には二重の周濠を有する。

発掘調査により見つかった円筒埴輪や形象埴輪(水鳥の頭部)などの遺物や、石の技法および古墳の築造方法など遺構の検討より、およそ5世紀中頃から後半に造られたものと推定される。埴輪は、墳頂部、下段、上段の平坦部に配列されていたと推測されている。さらに、器財埴輪や家形埴輪の存在も推測されている。

主体部分である被葬者の埋葬施設は、後円部東南側に凝灰岩製の長持形石棺の底石が露出しており、盗掘された痕跡がある。5世紀の畿内地方の大古墳にも採用されているものと変わらない。畿内の政権との関係が考えられる。副葬品については不明である。 封土に若干毀損された箇所があるとはいえ、旧態をよく保持し、東国古墳文化の様相を示す貴重な考古資料であるとして、 1941年昭和16年)1月27日に国の史跡に指定された。

なお「天神山」の名は、後円部の上に古くは天神様を祭る天満宮の社があり、これに由来する。 別称「男体山古墳」という。東方に隣接して女体山古墳帆立貝形古墳、全長106メートル、国の史跡)がある。

規模[編集]

周濠を含む古墳の領域は、長さ約364メートル、幅約288メートル、前方部前面幅265メートルにもおよぶ。

  • 墳丘長:約210メートル
  • 後円部
    • 直径:約120メートル
    • 長さ:約90メートル
    • 高さ:約16.8メートル
  • 前方部
    • 幅:約126メートル
    • 高さ:約12メートル
  • 内濠(楯形)
    • 後円部後方:36メートル
    • 前方部前面:24メートル
    • 墳丘北側部:30メートル
    • 墳丘南側部:36メートル
  • 中堤の幅
    • 後円部後方と前方部前面:24メートル
    • 墳丘北側部:17メートル
    • 南側部:23メートル
  • 外濠(馬蹄形)
    • 後円部周りと前方部前面:幅24メートル

主な出土品[編集]

  • 円筒埴輪(えんとうはにわ)
  • 水鳥埴輪(みずどりはにわ)

画像[編集]

所在地[編集]

  • 373-0813 群馬県太田市内ケ島町1606-1他

アクセス・交通[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 古墳大きさランキング(日本全国版)(堺市ホームページ 2012年12月19日更新版)。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]