池田信太郎

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池田信太郎
Badminton-shintaro ikeda.jpg
基本情報
生年月日 1980年12月27日(33歳)
国籍 日本の旗 日本
身長 175cm
体重 68kg
血液型 A型
選手情報
利き腕
競技開始年齢 8歳
種目 男子ダブルス
混合ダブルス
日本代表歴 2007年 -
主な戦績
世界ランク(最高) MD:6、XD:8位
日本ランク(最高) MD:1、XD:1位
国際大会 MD:北京五輪出場、世界選手権銅メダル
国内大会

MD:全日本総合選手権優勝、他 

XD:全日本社会人選手権優勝
XD:全日本総合選手権優勝
経歴
所属 選手
1989年 - 1993年 岡垣ジュニア
1993年 - 1996年 岡垣中学校
1996年 - 1999年 九州国際大付属高校
1999年 - 2003年 筑波大学
2003年 - 日本ユニシス(正社員契約)
2009年10月- 2013年3月 同社(プロ契約)

池田信太郎いけだ しんたろう1980年12月27日 - )は、日本のバドミントン選手。福岡県遠賀郡岡垣町出身。身長175cm、体重68kg。右利き。既婚。

概要[編集]

  • 実業団チーム入りしてから全日本タイトルを獲るダブルス選手に成長。世界選手権3位入賞や北京五輪出場を果たす。2009年からは潮田玲子(当時は三洋電機に所属、2010年に日本ユニシスに移籍)と組み、混合ダブルスでロンドン五輪に出場した。(2009年以降、個人戦の大会では混合ダブルスに専念しているが、日本リーグなどの所属チームの団体戦では男子ダブルスで活躍している。)
  • 2009年10月、所属する日本ユニシス社との雇用形態を正社員ではなくプロフェッショナル社員へと変更し、日本バドミントン界初のプロ選手となった[1]
  • 2013年3月末を以って日本ユニシスを退社。その後は旧所属の日本ユニシスでトレーニングを続けながらもフリーランスの状態で移籍先を探していたが、同年11月、日本ユニシス在籍時に日本リーグでペアを組んでいたアルベン・ユリアント・チャンドラインドネシア)とペアを再結成して、ワールドツアーに参戦することを発表した[2]
  • 2014年より、(公財)日本バドミントン協会の普及指導開発部のメンバーに選ばれている。

経歴[編集]

親が運営するジュニアクラブにて8歳からバドミントンを始める。岡垣町立岡垣中学校九州国際大学付属高等学校筑波大学を経て、2003年4月に日本ユニシスに入社。

2004年頃は、福井剛士(2007年3月引退)とのペアで「社会人選手権」のタイトルを取るなど活躍。筑波大の先輩にあたる坂本修一と初めてペアを組んだ2005年1月の韓国オープンでベスト8入り。

2006年、国際大会・国内大会ともに坂本とのペアに固定され、全日本総合選手権大会で優勝、ヨネックスオープンジャパンで日本人ペアとして16年ぶりのベスト4入り。

2007年、世界選手権の男子ダブルスで日本男子初となる銅メダルを獲得。

2008年3月、全英オープンの男子ダブルスで日本男子21年ぶりとなるベスト4入り。同年8月、北京オリンピックの男子ダブルスでは初戦敗退。全日本総合選手権大会で優勝。

2009年4月、潮田玲子と混合ダブルスのペアを組み、ロンドン五輪出場を目指すことを発表。同年9月、全日本社会人選手権の混合ダブルスで初優勝。

2011年12月、2009年2010年と2年続けて準優勝だった 全日本総合バドミントン選手権大会の混合ダブルスで優勝。また、この年のBWFスーパーシリーズでの活躍によりスーパーシリーズファイナルズへの出場権を獲得したばかりでなく、グループリーグを突破して準決勝に進出した。

2012年ロンドンオリンピックに出場(混合ダブルス)。

2013年11月、アルペン・ユリアント・チャンドラとペアを組んでの世界ツアー参戦を発表。

エピソード[編集]

  • 潮田玲子とのペアは「イケシオ」と呼ばれている。
  • 2007年にマレーシアで行われた世界選手権の準々決勝で、当時世界ランキング1位だった地元マレーシアペアとファイナルの激戦の末に勝利した際、感激のあまりコートに崩れ落ち、コーチに支えられながら号泣した。
  • 同じ日本ユニシス所属の池田雄一 は実弟。雄一の方も全日本社会人大会を3連覇した実力者。
  • 俳優、歌手である梅沢富美男の従甥(いとこ(梅沢の父の弟の長男)の息子)にあたる。

主な戦績[編集]

国内大会[編集]

国際大会[編集]

主なメディア出演[編集]

テレビ[編集]

雑誌[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]