本間利彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

本間 利彦(ほんま としひこ、1967年3月24日 - )は、愛知県出身のオートバイロードレースライダー。

略歴[編集]

  • 1982年 二輪車免許を取る前からオートバイに興味を示し、名古屋市のアトランタ・ツーリングクラブに在籍。二輪免許取得後はウイリーの成功距離等でメンバーを驚かせた。
  • 1986年 19歳で全日本ロードレース国際A級デビュー。富士スピードウェイで開催された国際格式レース「富士スーパースプリント」GP250ccクラス、雨の中で行われた第1ヒートでカルロス・ラバードシト・ポンスといったワークスライダーを退けて優勝。第2ヒートで15位に終わったことで総合結果は5位だったが、この活躍でヤマハ関係者の目に留まる。在籍チームはウカワR&Mコメット。リーダーは今は亡き山川守であった。
  • 1987年 ヤマハ発動機と契約し全日本ロードレース選手権GP250ccクラスランキング3位
当時ヤマハのエースライダーだった奥村裕の負傷により、当初乗っていたTZ250からワークスマシンのYZR250に乗り換え、ホンダのエースライダー清水雅広とチャンピオン争いを展開。ヤマハ勢最上位のランキング3位を獲得する。
  • 1988年 全日本ロードレース選手権GP250ccクラスチャンピオン
前年の活躍でヤマハワークス入りを果たすが、当初ヤマハは全日本選手権にワークスマシンYZR250を投入せず、新型の後方排気型市販TZ250での参戦となった(市販レーサーのTZと区別するため、ワークスマシンはTZ250改またはTZ改と呼ばれていた)。性能的に不利ながらもスポット参戦した日本GPではポールポジションを獲得。全日本選手権第3戦で優勝したことから、ヤマハはシーズン途中から再びYZR250を本間に与え、見事チャンピオンを獲得する。
  • 1989年 全日本ロードレース選手権GP250ccクラスランキング2位
シーズン当初からワークスマシンYZR250を与えられ連覇に挑むが、シーズン途中の怪我により後半は成績不振に陥り、チャンピオンを逃す。
  • 1990年 全日本ロードレース選手権GP500ccクラスに転向。
  • 1991年 全日本ロードレース選手権GP500ccクラスランキング6位
  • 1992年 全日本ロードレース選手権GP500ccクラスランキング4位
  • 1993年 全日本ロードレース選手権GP500ccクラスランキング2位
阿部典史とのチャンピオン争いに敗れ、年間ランキング2位に終わる。
  • 1994年 全日本選手権からGP500ccクラスが廃止されたため、テストライダーに転向。
  • 1995年 ロードレース世界選手権・日本グランプリの500ccクラスにスポット参戦。ポールポジションのケビン・シュワンツに続き予選2位を獲得する。
  • 1996年 全日本ロードレース選手権GP250ccクラスランキング5位
3年ぶりに全日本選手権にフルエントリー。
  • 1997年 再びヤマハ発動機 テストライダーに転向。
  • 1998年 ヤマハ発動機 ワークステストライダー (ロードレース世界選手権250ccクラスのフランスGP(9位)とイタリアGP(リタイヤ)にスポット参戦)
  • 1999年 ヤマハ発動機 ワークステストライダー
  • 2000年 ヤマハ発動機 ワークステストライダー
  • 2001年 ヤマハ発動機 ワークステストライダー
  • 2002年 ヤマハ発動機 ワークステストライダー
  • 2003年 引退

関連項目[編集]