斎藤彦麿

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斎藤 彦麿(さいとう ひこまろ、1768年2月22日明和5年1月5日)- 1854年4月9日安政元年3月12日[1]))は、江戸時代後期の国学者である。本姓は荻野、幼名は智明。通称は彦六郎。字は可怜。号に宮川舎、葦仮庵等がある。

経歴・人物[編集]

三河矢作(現在の愛知県岡崎市)生まれ。1796年[2]寛政8年)に斎藤家の相続に伴い、改姓する。後に江戸に入り、石見浜田藩士となり、松平康任に仕えた。その後、伊勢貞丈の門人となり有職故実を、賀茂季鷹に入門して和歌をそれぞれ学んだ。

後に本居大平から古学等の国学を学ぶ。なお、このころに彦麿は本居宣長の門人と自称していた事があった。この学びを活かして神道や古学、随筆等数多くの学問の種類を執筆、刊行し、同時期に活動していた村田春海を痛烈に批判する等、堂々の活躍をみせた。また、山東京伝戯作者とも親交を持ったとされている。彦麿の門人は数多く、500人ほど存在したとされている。

主な著作物[編集]

主著[編集]

  • 『神道問答』
  • 『勢語図説抄』
  • 『蓬蕽集』- 和歌集。

その他の著書[編集]

  • 『諸国名義考』
  • 『傍廂』
  • 『玉のゆくへ』[3]
  • 『竹箒』[3]
  • 『改正神代記』

脚注[編集]

  1. ^ 嘉永7年とする説もある。
  2. ^ 1795年(寛政7年)とする説もある。
  3. ^ a b 村田春海に対する批判が記されている。

出典[編集]

外部リンク[編集]