教祖の文学

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教祖の文学
―小林秀雄論―
作者 坂口安吾
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 随筆評論
発表形態 雑誌掲載
初出情報
初出新潮1947年6月
刊本情報
収録 『坂口安吾全集 05』
出版元 筑摩書房
出版年月日 1998年6月
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教祖の文学』(きょうそのぶんがく)とは、坂口安吾による小林秀雄論である。小林の評論の中のペシミズム悟性ニヒリズム的姿勢を指摘しつつ、これを「教祖」と表現し、彼の文学観についての批判が述べられる。

発表経過[編集]

1947年昭和22年)6月1日、『新潮』第四四巻第六号に掲載された[1]

内容[編集]

初めに著者と小林秀雄との十六、七年前の出会いについて述べられ以下のように続く。

思ふに小林の文章は心眼を狂はせるに妙を得た文章だ。私は小林と碁を打つたことがあるが、彼は五目置いて(ほんとはもつと置く必要があるのだが、五ツ以上は恰好が悪いやと云つて置かないのである)けつして喧嘩といふことをやらぬ。置碁の定石の御手本通りのやりかたで、地どり専門、横槍を通すやうな打方はまつたくやらぬ。こつちの方がムリヤリいぢめに行くのが気の毒なほど公式的そのものの碁を打つ。碁といふものは文章以上に性格をいつはることができないもので、文学の小林は独断先生の如くだけれども、本当は公式的な正統派なんだと私はその時から思つてゐた。然し彼の文章の字面からくる迫真力といふものは、やつぱり私の心眼を狂はせる力があつて、それは要するに、彼の文章を彼自身がさう思ひこんでゐるといふこと、そして当人が思ひこむといふことがその文学をして実在せしめる根柢的な力だといふことを彼が信条とし、信条通りに会得したせゐではないかと私は思ふ。
彼の昔の評論、志賀直哉論をはじめ他の作家論など、今読み返してみると、ずゐぶんいゝ加減だと思はれるものが多い。然し、あのころはあれで役割を果してゐた。彼が幼稚であつたよりも、我々が、日本が、幼稚であつたので、日本は小林の方法を学んで小林と一緒に育つて、近頃ではあべこべに先生の欠点が鼻につくやうになつたけれども、実は小林の欠点が分るやうになつたのも小林の方法を学んだせゐだといふことを、彼の果した文学上の偉大な役割を忘れてはならない。

「美しい「花」がある。「花」の美しさといふ様なものはない。彼の「花」の観念の曖昧さに就いて頭を悩ます現代の美学者の方が、化かされてゐるに過ぎない」と述べる小林に対して

彼が世阿弥の方法だと言つてゐるところがそつくり彼の方法なのであり、彼が世阿弥に就いて思ひこんでゐる態度が、つまり彼が自分の文学に就いて読者に要求してゐる態度でもある。

と述べており、また、「世阿弥の美術観には疑いようがないから、観念の曖昧さ自体が実在であるとして、美しい「花」がある。「花」の美しさといふものはない。」という小林の著述に対して

私は然しかういふ気の利いたやうな言ひ方は好きでない。本当は言葉の遊びぢやないか。私は中学生のとき漢文の試験に「日本に多きは人なり。日本に少きも亦また人なり」といふ文章の解釈をだされて癪にさはつたことがあつたが、こんな気のきいたやうな軽口みたいなことを言つてムダな苦労をさせなくつても、日本に人は多いが、本当の人物は少い、とハッキリ言へばいゝぢやないか。かういふ風に明確に表現する態度を尊重すべきであつて日本に人は多いが人は少い、なんて、駄洒落にすぎない表現法は抹殺するやうに心掛けることが大切だ。

と述べている。

これら小林の姿勢に対して著者は、彼自身の一種の奥義であると指摘し、また、悟性に基づく彼の姿勢を一種の教祖的存在であるとも述べ批判している。

彼が世阿弥について、いみじくも、美についての観念の曖昧さも世阿弥には疑はしいものがないのだから、と言つてゐるのが、つまり全く彼の文学上の観念の曖昧さを彼自身それに就いて疑はしいものがないといふことで支へてきた這般の奥義を物語つてゐる。全くこれは小林流の奥義なのである。あげくの果に、小林はちかごろ奥義を極めてしまつたから、人生よりも一行のお筆先の方が真実なるものとなり、つまり武芸者も奥義に達してしまふともう剣などは握らなくなり、道のまんなかに荒れ馬がつながれてゐると別の道を廻つて君子危きに近よらず、これが武芸の奥義だといふ、悟道に達して、何々教の教祖の如きものとなる。小林秀雄も教祖になつた。

「生きてゐる人間なんて仕方のない代物だな。何を考へてゐるのやら、何を言ひだすのやら、仕出かすのやら、自分の事にせよ、他人事にせよ、解つた例ためしがあつたのか。鑑賞にも観察にも堪へない。其処に行くと死んでしまつた人間といふものは大したものだ。何故あゝはつきりとしつかりとしてくるんだらう。まさに人間の形をしてゐるよ。してみると、生きてゐる人間とは、人間になりつゝある一種の動物かな(無常といふこと)」という小林の著述について著者は、過去の歴史の中の人間にのみ不動の美が存在すると述べ、生きる人間は鑑賞に耐えない、という小林を「歴史の必然」を説く但の鑑定人に過ぎないとしている。

だから、歴史には死人だけしか現はれてこない。だから退ッ引きならぬ人間の相しか現はれぬし、動じない美しい形しか現はれない、と仰有る。生きてゐる人間を観察したり仮面をはいだり、罰が当るばかりだと仰有るのである。だから小林のところへ文学を習ひに行くと人生だの文学などは雲隠れして、彼はすでに奥義をきはめ、やんごとない教祖であり、悟道のこもつた深遠な一句を与へてくれるといふわけだ。
生きてゐる人間などは何をやりだすやら解つたためしがなく鑑賞にも観察にも堪へない、といふ小林は、だから死人の国、歴史といふものを信用し、「歴史の必然」などといふことを仰有る。
「歴史の必然」か。なるほど、歴史は必然であるか。
生きてる奴は何をやりだすか分らんと仰有る。まつたく分らないのだ。現在かうだから次にはかうやるだらうといふ必然の筋道は生きた人間にはない。死んだ人間だつて生きてる時はさうだつたのだ。人間に必然がない如く、歴史の必然などといふものは、どこにもない。人間と歴史は同じものだ。たゞ歴史はすでに終つてをり、歴史の中の人間はもはや何事を行ふこともできないだけで、然し彼らがあらゆる可能性と偶然の中を縫つてゐたのは、彼らが人間であつた限り、まちがひはない。
歴史には死人だけしか現はれてこない、だから退ッ引きならぬギリギリの人間の相を示し、不動の美しさをあらはす、などとは大嘘だ。死人の行跡が退ッ引きならぬギリギリなら、生きた人間のしでかすことも退ッ引きならぬギリギリなのだ。もし又生きた人間のしでかすことが退ッ引きならぬギリギリでなければ、死人の足跡も退ッ引きならぬギリギリではなかつたまでのこと、生死二者変りのあらう筈はない。
つまり教祖は独創家、創作家ではないのである。教祖は本質的に鑑定人だ。教祖がちかごろ骨董を愛すといふのは無理がないので、すでに私がその碁に於いて看破した如く彼は天性の公式主義者であり、定石主義者であり、保守家であり、常識家であつて、死人はともかく死んでをり、もう足をすべらして墜落することがないから安心だが、生きた奴とくると、何をしでかすか分らず、教祖の如く何をしでかす魂胆がなくとも、足をすべらしてプラットホームから落つこちる、どこに伏兵がひそんでゐるか分らない。実にどうも生きるといふことはヤッカイだ。

これらの小林の観賞批判に続き、著者によって文学の姿と共に人間存在について述べられる。

生きてる人間といふものは、(実は死んだ人間でも、だから、つまり)人間といふものは、自分でも何をしでかすか分らない、自分とは何物だか、それもてんで知りやしない、人間はせつないものだ、然し、ともかく生きようとする、何とか手探りででも何かましな物を探し縋りついて生きようといふ、せつぱつまれば全く何をやらかすか、自分ながらたよりない。疑りもする、信じもする、信じようとし思ひこまうとし、体当り、遁走、まつたく悪戦苦闘である。こんなにして、なぜ生きるんだ。文学とか哲学とか宗教とか、諸々の思想といふものがそこから生れて育つてきたのだ。それはすべて生きるためのものなのだ。生きることにはあらゆる矛盾があり、不可決、不可解、てんで先が知れないからの悪戦苦闘の武器だかオモチャだか、ともかくそこでフリ廻さずにゐられなくなつた棒キレみたいなものの一つが文学だ。
人間は何をやりだすか分らんから、文学があるのぢやないか。歴史の必然などといふ、人間の必然、そんなもので割り切れたり、鑑賞に堪へたりできるものなら、文学などの必要はないのだ。
だから小林はその魂の根本に於いて、文学とは完全に縁が切れてゐる。そのくせ文学の奥義をあみだし、一宗の教祖となる、これ実に邪教である。

これに続き作家の姿勢についても述べられる。

小説といふ作品の場合に於いては、作家は思想家であると同時に戯作者でなければならぬ。仮面を脱いで素面を見せることは小説ではない。これを小説だと思へば罰が当るのは是非もない。然し作家の私生活に於いて、作家は仮面をぬぎ、とことんまで裸の自分を見つめる生活を知らなければ、その作家の思想や戯作性などタカが知れたもので、鑑賞に堪へうる代物ではないにきまつてゐる。
生きた人間を自分の文学から締め出してしまつた小林は、文学とは絶縁し、文学から失脚したもので、一つの文学的出家遁世だ。私が彼を教祖といふのは思ひつきの言葉ではない。
彼はもう文学を鑑賞し詩人を解するだけだ。歴史の必然とか人間の必然といふ自分勝手な角度によつて、彼はもう文学や詩人と争ひ、格闘することがないのである。争ふとか格闘するといふことは、自分を偶然の方へ賭けることだから、彼はもう偶然などは俺にはいらないといふ悟りをひらいてゐるのだ。詩人のつとめて隠さうとし忘れようとしたものを暴くのは鑑賞のためや詩人を解するためではなく、自分の仮面をはがさうとする同じ働きが他へ向けられただけのことで、普遍的な真理といふやうなものを暴くんぢやない。仮面を脱ぐといふことも真理を暴くといふのぢやなくて、たゞさうせずにゐられぬからだといふやうな罰の当つた苦悩格闘、そんなものはもう小林には用はない。

著者は小林の評論、観賞の姿勢を指摘しつつ宮沢賢治を取り上げている。

常に物が見えてゐる。人間が見えてゐる。見えすぎてゐる。どんな思想も意見も彼を動かすに足りぬ。そして、見て、書いただけだ。それが徒然草といふ空前絶後の批評家の作品なのだと小林は言ふ。これはつまり小林流の奥義でもあり、批評とは見える眼だ、そして小林には人間が見えすぎてをり、どんな思想も意見も、見える目をくもらせず彼を動かすことはできない。彼は見えすぎる目で見て、鑑定したまゝを書くだけだ。
私は然し小林の鑑定書など全然信用してやしないのだ。西行実朝の歌や徒然草が何物なのか。三流品だ。私はちつとも面白くない。私も一つ見本をださう。これはたゞ素朴きはまる詩にすぎないが、私は然し西行や実朝の歌、徒然草よりもはるかに好きだ。宮沢賢治の「眼にて言ふ」といふ遺稿だ。
だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず
血も出つゞけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといい風でせう
もう清明が近いので
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波を立て
あんなに青空から
もりあがつて湧くやうに
きれいな風がくるですな
あなたは医学会のお帰りか何かは判りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを言へないのがひどいです
あなたの方から見たら
ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やつぱりきれいな青ぞらと
すきとほつた風ばかりです
半分死にかけてこんな詩を書くなんて罰当りの話だけれども、徒然草の作者が見えすぎる不動の目で見て書いたといふ物の実相と、この罰当りが血をふきあげながら見た青空と風と、まるで品物が違ふのだ。
思想や意見によつて動かされるといふことのない見えすぎる目。そんな目は節穴みたいなもので物の死相しか見てゐやしない。つまり小林の必然といふ化け物だけしか見えやしない。平家物語の作者が見たといふ月、ボンクラの目に見えやしないと小林がいふそんな月が一体そんなステキな月か。平家物語なんてものが第一級の文学だなんて、バカも休み休み言ひたまへ。あんなものに心の動かぬ我々が罰が当つてゐるのだとは阿呆らしい。
本当に人の心を動かすものは、毒に当てられた奴、罰の当つた奴でなければ、書けないものだ。思想や意見によつて動かされるといふことのない見えすぎる目などには、宮沢賢治の見た青ぞらやすきとほつた風などは見ることができないのである。
生きてゐる奴は何をしでかすか分らない。何も分らず、何も見えない、手探りでうろつき廻り、悲願をこめギリ/\のところを這ひまはつてゐる罰当りには、物の必然などは一向に見えないけれども、自分だけのものが見える。自分だけのものが見えるから、それが又万人のものとなる。芸術とはさういふものだ。歴史の必然だの人間の必然などが教へてくれるものではなく、偶然なるものに自分を賭けて手探りにうろつき廻る罰当りだけが、その賭によつて見ることのできた自分だけの世界だ。創造発見とはさういふもので、思想によつて動揺しない見えすぎる目などに映る陳腐なものではないのである。
美しい「花」がある、「花」の美しさといふものはない、などといふモヤモヤしたものではない。死んだ人間が、そして歴史だけが退ッ引きならぬぎりぎりの人間の姿を示すなどとは大嘘の骨張で、何をしでかすか分らない人間が、全心的に格闘し、踏み切る時に退ッ引きならぬぎり/\の相を示す。それが作品活動として行はれる時には芸術となるだけのことであり、よく物の見える目は鑑定家の目にすぎないものだ。
文学は生きることだよ。見ることではないのだ。生きるといふことは必ずしも行ふといふことでなくともよいかも知れぬ。書斎の中に閉ぢこもつてゐてもよい。然し作家はともかく生きる人間の退ッ引きならぬギリギリの相を見つめ自分の仮面を一枚づつはぎとつて行く苦痛に身をひそめてそこから人間の詩を歌ひだすのでなければダメだ。生きる人間を締めだした文学などがあるものではない。
小説は十九世紀で終つたといふ、こゝに於いて教祖はまさしく邪教であり、お筆先きだ。時代は変る、無限に変る。日本の今日の如きはカイビャク以来の大変りだ。別に大変りをしなくとも、時代は常に変るもので、あらゆる時代に、その時代にだけしか生きられない人間といふものがをり、そして人間といふものは小林の如くに奥義に達して悟りをひらいてはをらぬもので、専一に生きることに浮身をやつしてゐるものだ。そして生きる人間はおのづから小説を生み、又、読む筈で、言論の自由がある限り、万古末代終りはない。小説は十九世紀で終りになつたゾヨ、これは璽光様の文学的ゴセンタクといふものだ。
人生はつくるものだ。必然の姿などといふものはない。歴史といふお手本などは生きるためにはオソマツなお手本にすぎないもので、自分の心にきいてみるのが何よりのお手本なのである。仮面をぬぐ、裸の自分を見さだめ、そしてそこから踏み切る、型も先例も約束もありはせぬ、自分だけの独自の道を歩くのだ。自分の一生をこしらへて行くのだ。
小林にはもう人生をこしらへる情熱などといふものはない。万事たのむべからず、そこで彼はよく見える目で物を人間をながめ、もつぱら死相を見つめてそこから必然といふものを探す。彼は骨董の鑑定人だ。花鳥風月を友とし、骨董をなでまはして充ち足りる人には、人間の業と争ふ文学は無縁のものだ。

また、人間孤独の相を説き地獄を見る小林に対して著者は、人間という存在は本来孤独でありまた唯一である、と主張し以下のように述べている。

だから自分といふものは、常にたつた一つ別な人間で、銘々の人がさうであり、歴史の必然だの人間の必然だのそんな変テコな物差ではかつたり料理のできる人間ではない。人間一般は永遠に存し、そこに永遠といふ観念はありうるけれども、自分といふ人間には永遠なんて観念はミヂンといへども有り得ない。だから自分といふ人間は孤独きはまる悲しい生物であり、はかない生物であり、死んでしまへば、なくなる。自分といふ人間にとつては、生きること、人生が全部で、彼の作品、芸術の如きは、たゞ手沢品中の最も彼の愛した遺品といふ外の何物でもない。
人間孤独の相などとは、きまりきつたこと、当りまへすぎる事、そんなものは屁でもない。そんなものこそ特別意識する必要はない。さうにきまりきつてゐるのだから。仮面をぬぎ裸になつた近代が毒に当てられて罰が当つてゐるのではなく、人間孤独の相などといふものをほじくりだして深刻めかしてゐる小林秀雄の方が毒にあてられ罰が当つてゐるのだ。
自分といふ人間は他にかけがへのない人間であり、死ねばなくなる人間なのだから、自分の人生を精いつぱい、より良く、工夫をこらして生きなければならぬ。人間一般、永遠なる人間、そんなものゝ肖像によつて間に合はせたり、まぎらしたりはできないもので、単純明快、より良く生きるほかに、何物もありやしない。
文学も思想も宗教も文化一般、根はそれだけのものであり、人生の主題眼目は常にたゞ自分が生きるといふことだけだ。

これら人間の孤独に加えて著者は小説そのものの本性を曝いている。

小説なんて、たかゞ商品であるし、オモチャでもあるし、そして、又、夢を書くことなんだ。第二の人生といふやうなものだ。有るものを書くのぢやなくて、無いもの、今ある限界を踏みこし、小説はいつも背のびをし、駈けだし、そして跳びあがる。だから墜落もするし、尻もちもつくのだ。
美といふものは物に即したもの、物そのものであり、生きぬく人間の生きゆく先々に支へとなるもので、よく見える目といふものによつて見えるものではない。美は悲しいものだ。孤独なものだ。無慙なものだ。不幸なものだ。人間がさういふものなのだから。

  最後に、小林の落下事故に関して教祖たる彼自身の虚無性が語られる。

小林はもう悲しい人間でも不幸な人間でもない。彼が見てゐるのは、たかゞ人間の孤独の相にすぎないので、生きる人間の苦悩といふものは、もう無縁だ。そして満足してゐる。骨董を愛しながら。鑑定しながら。そして奥義をひらいて達観し、よく見えすぎる目で人間どもを眺めてゐる。思想にも意見にも動きやしない。だからもう生きてゐる人間どものやうに、何かわけの分らぬことをしでかすやうなことはないのだ。そのくせ彼は水道橋のプラットホームから落つこつたが、彼の見えすぎる目、孤独な魂は何と見たか。なにつまらねえ、たとへ死んだつて、オレ自身の心は自殺と見たつていゝぢやないか。なんでもねえや。
自殺なんて、なんだらう。そんなものこそ、理窟も何もいりやしない。風みたいに無意味なものだ。
女のふくらはぎを見て雲の上から落つこつたといふ久米の仙人の墜落ぶりにくらべて、小林の墜落は何といふ相違だらう。これはたゞもう物体の落下にすぎん。
小林秀雄といふ落下する物体は、その孤独といふ詩魂によつて、落下を自殺と見、虚無といふ詩を歌ひだすことができるかも知れぬ。然しまことの文学といふものは久米の仙人の側からでなければ作ることのできないものだ。本当の美、本当に悲壮なる美は、久米の仙人が見たのである。いや、久米の仙人の墜落自体が美といふものではないか。
落下する小林は地獄を見たかも知れぬ。然し落下する久米の仙人はたゞ花を見ただけだ。その花はそのまゝ地獄の火かも知れぬ。そして小林の見た地獄は紙に書かれた餅のやうな地獄であつた。彼はもう何をしでかすか分らない人間といふ奴ではなくて教祖なのだから。人間だけが地獄を見る。然し地獄なんか見やしない。花を見るだけだ。

脚注[編集]

外部リンク[編集]