拓跋普根

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拓跋普根呉音:たくばつ ふこん、漢音:たくばつ ほこん、Tuòbá Pǔgēn、? - 316年没)は、鮮卑拓跋部の大人(たいじん:部族長)で、桓帝(拓跋猗)の子。五胡十六国時代代国の第2代の王(在位:316年)。

生涯[編集]

昭帝11年(305年)、父の桓帝(拓跋猗)が死ぬと、普根は後を継ぎ、中部拓跋部を統治した。

穆帝9年(316年)、拓跋猗盧拓跋六脩に殺害されるとの報を受け、六脩を殺害して国内を平定、王位を継承した。しかし数ヵ月後に死去している。

北魏道武帝(拓跋珪)より文平皇帝と追諡された。

参考資料[編集]

  • 魏書』(帝紀第一)
先代:
拓跋猗
中部拓跋部の大人
305年 - 307年
次代:
統一:拓跋猗盧
先代:
拓跋猗盧
代王
第2代:316年
次代:
哀帝(欠名)