拓跋賀ル

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拓跋賀(たくばつ かる、Tuòbá Hèrǔ、? - 325年)は、鮮卑拓跋部の大人(たいじん:部族長)および代国の王。父は桓帝(拓跋猗)、母は祁氏、兄に拓跋普根、弟に拓跋がいる。平文帝5年を恵帝元年とする。

生涯[編集]

平文帝5年(321年)、平文帝鬱律祁氏に殺されると、祁氏の子の拓跋賀が即位するが、まだ自ら政務ができないので代わりに祁氏が政務を執り行った(そのため当時は女国と呼ばれていた)。

恵帝4年(324年)、親政を始めるが、諸大人はまったく帰服しないので、賀は東木根山に遷都した。この年、涼州刺史張茂が死んで、兄の子の張駿が涼州刺史となると、代国に遣使を送ってきて朝貢した。

恵帝5年(325年)、賀卒去し、代わって弟の那が立ち、恵帝5年を煬帝元年とした。

のちに、北魏道武帝より恵皇帝と追尊された。

参考文献[編集]

  • 魏書』(帝紀第一)
先代:
拓跋鬱律
代王
第5代:321年 - 325年
次代:
拓跋