平岡拓晃

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平岡拓晃
基本情報
ラテン文字 Akihiro Hiraoka
日本の旗 日本
出生地 広島県広島市
生年月日 1985年2月6日(29歳)
身長 160cm
選手情報
階級 60kg級
所属 了徳寺学園
 
獲得メダル
男子柔道
オリンピック
2012 ロンドン 60kg級
世界柔道選手権
2009 ロッテルダム 60kg級
2010 東京 60kg級
2011 パリ 60kg級
ワールドマスターズ
2010 水原 60kg級
2012 アルマトイ 60kg級
グランドスラム
2010 リオ 60kg級
2009 東京 60kg級
2009 リオ 60kg級
2011 東京 60kg級
2011 リオ 60kg級
アジア大会
2010 広州 66kg級
アジア柔道選手権
2008 済州 60kg級
2013年10月22日現在
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平岡 拓晃(ひらおか ひろあき、1985年2月6日 - )は、広島県広島市南区宇品出身の柔道家。得意技は右背負投得意技は内股[1]。尊敬する人は筑波大学柔道部監督・岡田弘隆。身長160cm。階級は男子柔道60kg以下級。

来歴[編集]

廿日市市立阿品台中学校-近畿大学附属福山高校-筑波大学卒業。現職は、了徳寺学園職員である。

6歳の時、柔道経験のある父から柔道を教わる。 近畿大学附属福山高校3年生の2002年インターハイ優勝。筑波大学へ進学。筑波大学1年生の2003年、講道館杯日本体重別選手権優勝。ベルギー国際大会優勝。

2004年、世界ジュニア選手権3位、講道館杯日本体重別選手権2位。2006年、グルジア国際大会2位。フランス国際大会2位。全日本選抜体重別選手権3位。講道館杯日本体重別選手権3位 。2007年1月、グルジア国際大会優勝。4月、全日本選抜体重別選手権3位。5月、アジア選手権1回戦敗退。8月、第24回ユニバーシアード競技大会2回戦敗退。12月、嘉納杯東京国際大会優勝。2008年2月、フランス国際大会優勝。2月、オーストリア国際大会3位。

2008年4月、北京五輪代表最終選考会の全日本選抜体重別選手権男子60キロ級で優勝。しかし代表選考会では五輪三連覇中の野村忠宏ミキハウス)を推す委員が全体の三分の二となった。平岡を推す委員が強化委員会で猛反発し両派は総意を得られず、上村春樹専務理事、吉村和郎強化委員長ら全柔連幹部に判断を仰ぎ、近年の実績、勢い、若さなどが評価されて最終的に北京五輪代表候補に選出された。実績重視に傾きがちな柔道の代表選考では"異例"とも言える選出となった。2008年4月27日韓国済州島で行われたアジア選手権で優勝、日本は60kgでの北京五輪の出場枠を獲得し、平岡の北京五輪代表が決定した。

2008年8月9日、北京オリンピックでは初戦となる2回戦でアメリカのTaraje Williams-Murrayと対戦し、終始消極的な試合運びで指導の反則ポイントを取られ敗退した。この試合については、山下泰裕全柔連強化副委員長「五輪の雰囲気に呑まれたというより気迫が感じられない」、上村春樹日本選手団総監督「何も出来なかったではなく、何もしなかった」と、厳しい評価をされた。また平岡に勝ったMurrayが次の試合で負けたため、平岡は敗者復活戦に回ることも叶わなかった。五輪の惨敗により、代表選考で落選した野村忠宏の3連覇に続く日本勢4連覇を逃したのに加え、最軽量級では不参加のモスクワ五輪を除き、1976年モントリオール五輪以来、32年ぶりのメダルなしになった。

2009年世界柔道選手権大会60kg級で銀メダルを獲得する。しかしながら、「1回戦負けでも2位でも同じ」と悔しさを見せた。2010年世界選手権では銅メダルを獲得した。同年アジア大会では決勝でひざを負傷し銀メダルに終わった。篠原信一監督から「けがが多い。何かが足りない」と評された[2]

2011年3月4日スポーツライターで元女優宮崎真汐と結婚したと日刊スポーツで報じられた。同年6月2日、第一子となる長女が誕生した。8月の世界選手権では銀メダルに終わった[3]

2012年5月の選抜体重別では決勝で日本体育大学志々目徹を指導2で破り、今大会5連覇を飾ってロンドンオリンピック代表に選出された[4]

2012年7月のロンドンオリンピックでは、初戦で地元イギリスのアシュレー・マッケンジーに一本、2回戦でイスラエルのアルティオム・アルシャンスキーを技あり、準々決勝ではフランスのソフィアン・ミルを終了7秒前で追いつき3-0の判定、準決勝ではイタリアのエリオ・ヴェルデを一本で破るも、決勝ではロシアのアルセン・ガルスチャンに開始41秒の外巻込で一本負けを喫し、銀メダルに終わった。[5]。 なお、この銀メダルは1912年のストックホルムオリンピックに初参加して以来、夏季・冬季通して通算400個目のメダルであった。

2013年からは階級を66kg級に上げて講道館杯に出場するも初戦で敗れた[6]

IJF世界ランキングは180ポイント獲得で63位(14/5/26現在)。

戦績[編集]

有力選手との対戦成績[編集]

(2013年11月現在)

対戦成績
国籍 選手名 内容
ウズベキスタンの旗 リショド・ソビロフ 3勝4敗
ウクライナの旗 ゲオルグリー・ザンタラヤ 1勝2敗
ロシアの旗 アルセン・ガルスチャン 3勝3敗
アゼルバイジャンの旗 イルガル・ムシキエフ 1勝
モンゴルの旗 ダワードルジ・ツムレフレグ 1勝
韓国の旗 崔光賢 3勝

(参考資料:ベースボールマガジン社発行の近代柔道バックナンバー、JudoInside.com等)。

脚注[編集]

  1. ^ 「柔道全日本強化選手名鑑 2012」近代柔道 ベースボールマガジン社、2012年4月号
  2. ^ 平岡また負傷=アジア大会・柔道時事通信2010/11/16-23:39
  3. ^ 平岡、届かなかった頂点=世界柔道 時事通信 2011年8月24日
  4. ^ 平岡、涙の連続切符 体重別選手権 MSN産経ニュース 2012年5月12日
  5. ^ [1]]SDH2809K_Y2A720C1000000/ 柔道・平岡が銀メダル、福見はメダルならず] 日本経済新聞 2012年7月29日
  6. ^ 平岡、初戦敗退にも納得=講道館杯柔道 時事通信 2013年11月9日

参考文献[編集]

外部リンク[編集]