岸連山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

岸連山(きしれんざん、文化元年(1804年) - 安政6年[1]11月14日1859年12月7日))は、江戸時代後期の岸派絵師京都生まれ。旧姓、青木。幼名を徳次郎。のちに昌徳、徳などと名乗る。通称・文進。字は士道、士進。号は萬象楼。

経歴[編集]

文化元年、青木新助の子として京に生まれる。岸駒岸良に師事する。岸駒の長女で岸良の妻・貞の先婿との娘・晴(春)と結婚、婿養子となり第三代岸派を継承した。文政6年(1823年)以降は父祖と同様、有栖川宮家に仕えた。安政2年(1855年京都御所障壁画制作では、御常御殿申口之間、御学問所雁之間・迎春南之間などを担当し、岸派の中では二代目の岸岱に次ぐ大きな仕事をしており、岸派の三代目に位置していたことが窺える。他に光明寺島原角屋、岸派とのゆかりが深い京都市北区天寧寺などに、作品の所蔵が確認されている。

中島来章横山清暉塩川文麟らと共に、幕末画壇の「平安四名家」と評された。画風初期は、装飾的な画風を特徴としたが、晩年は四条派の影響を受け、身近な花鳥や鳥獣を、淡彩を生かしつつ墨を駆使して描く温和な画風に変化した。連山は、岸駒の個性的表現から近代的な写生技法へ転換し、次代の竹堂へと続く岸派の近代化の契機となった絵師といえる。

墓所は上京区本禅寺。連山には九岳という息子がいたが後継者には選ばず、娘素子を弟子の岸竹堂と結婚させて跡を継がせた。

門人[編集]

岸竹堂巨勢小石、森春岳など。

代表作[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『京都御所障壁画』展図録182頁や『京(みやこ)の絵師は百花繚乱』展図録277頁では、明治4年(1871年)没と記されている。

参考文献[編集]

図録
  • 『京都御所障壁画 ─御常御殿と御学問所─』 京都国立博物館、2007年
  • 『京都文化博物館開館10周年記念特別展 京(みやこ)の絵師は百花繚乱 「平安人物志」にみる江戸時代の京都画壇』 京都文化博物館、1998年
  • 円山・四条派から現代まで─京都の日本画 京都画壇二五〇年の系譜展』 京都新聞社、1994年

外部リンク[編集]