佐世保市立木風小学校

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佐世保市立木風小学校
2022年4月撮影
地図北緯33度10分03秒 東経129度44分27秒 / 北緯33.16739度 東経129.74097度 / 33.16739; 129.74097座標: 北緯33度10分03秒 東経129度44分27秒 / 北緯33.16739度 東経129.74097度 / 33.16739; 129.74097
過去の名称 木風尋常小学校
佐世保市木風国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 佐世保市
設立年月日 1940年昭和15年)9月
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
学校コード B142210000475 ウィキデータを編集
所在地 857-1166
長崎県佐世保市木風町180番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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佐世保市立木風小学校(させぼしりつ きかぜしょうがっこう)は、長崎県佐世保市木風町にある公立小学校

概要[編集]

歴史
1940年(昭和15年)創立の「木風尋常小学校」を前身とする。現校名になったのは学制改革が行われた1947年(昭和22年)。2015年平成27年)に創立75周年を迎えた。
校区
住所表記で佐世保市の後に「稲荷町、木風町、藤原町」が続く地域。中学校区は佐世保市立山澄中学校佐世保市立福石中学校[1]
校章
花弁を組み合わせたものを背景にして、中央に「木風」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
作詞は永石三男、作曲は松本民之助による。歌詞は2番まであり、両番に校名の「木風」が登場する。

沿革[編集]

  • 1940年(昭和15年)9月 - 福石尋常小学校の児童増加にともない、分離する形で「木風尋常小学校」が創立される。
    • 校区を稲荷町・木風町・藤原町とし、児童数は831名、15学級でのスタート。
    • 日宇尋常小学校の校舎を一部借用。初代校長に湯川虎男が就任。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「佐世保市木風国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1943年(昭和18年)8月 - 現在地に校舎が完成し移転を完了。この時の児童数は1,180名(23学級)。
  • 1944年(昭和19年)4月 - 児童数の増加により、1・2年生において午前と午後に分けて二部授業を実施。
  • 1945年(昭和20年)
    • 6月29日 - 佐世保空襲により校舎を焼失。民家を借用して分散授業を余儀なくされる。
    • 9月 - 元・日本海軍木風町宿舎を仮校舎として授業を再開。教室はせまく、1学級児童20名として30学級編成とする。
  • 1946年(昭和21年)11月 - 大黒町の元・女子工員宿舎を仮校舎として移転。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われ、「佐世保市立木風小学校」(現校名)となる。
  • 1948年(昭和23年)6月 - 現在地に新校舎が完成し全児童収容を完了。ただし教室不足のため、1・2年生は分散授業を継続。
  • 1949年(昭和24年)4月 - 校舎を増築。
  • 1950年(昭和25年)4月 - 学区改定により、大宮町[2]の1年から3年の児童が転入。
  • 1951年(昭和26年)4月 - 学区改定により、大宮町[2]の4年から6年の児童が転入。

交通アクセス[編集]

最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停

周辺[編集]

著名な出身者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 佐世保市通学区域 (PDF) - 佐世保市
  2. ^ a b 現在、大宮町は佐世保市立福石小学校の校区となっている。
  3. ^ プロフィール - 金子容三公式サイト

参考資料[編集]

  • 「佐世保市史 教育篇」(佐世保市)p. 646 - p. 647

関連項目[編集]

外部リンク[編集]