今井林太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

今井 林太郎(いまい りんたろう、1910年1月13日[1] - 2003年9月8日)は、日本歴史学者神戸大学大手前大学名誉教授。専門は日本古代・中世史。

来歴[編集]

大阪府生まれ。大阪府立今宮中学校を卒業し、1928年第三高等学校文科に入学[2]。同校で中村直勝の講義を受け、日本史を専攻することにする[3]1931年に卒業する[4]と、京都帝国大学では三浦周行の定年退官が決まっていたこともあり、「中世に於ける社寺と社会との関係」に惹かれて平泉澄のいる東京帝国大学へ進学する[3]。同期入学に北山茂夫久保田収箭内健次らがいる[5]。卒業論文では「中世における庄園の農民」をテーマとしようと黒板勝美に相談したところ、「歴史のいろいろな記録には殆んど出てこない、そんなものを調べてみても無駄だ」という意見であったという[6]が、黒板の承認を得て清水三男の論文「中世に於ける若狹太良莊の農民」などに学びながら[6]、卒業論文「中世における荘民について」をまとめた[7][3]1934年に文学部国史学科卒業[8]法政大学講師を経て、1944年神戸経済大学予科教授[9]1949年神戸大学教授[1]1973年定年退官、名誉教授。同年、大手前女子大学教授。2003年9月8日、老衰のため93歳で死去[10]

著書[編集]

共編著[編集]

記念論集[編集]

  • 『国史学論集 今井林太郎先生喜寿記念』今井林太郎先生喜寿記念論文集刊行会 1988

参考文献[編集]

  • 今井林太郎「清水三男氏追悼記念講演 中世の農民―日本農民史第三講」『日本史研究』第12号、日本史研究会、1950年、2-12頁。 
  • 今井林太郎「歴史と私」『歴史手帖』第19巻第3号、名著出版、1991年、3頁、ISSN 02887568 
  • 署名無し(著)、日本歴史地理學會(編)「各大學史學科卒業論文題目(一)」『歴史地理』第63巻第3号、地人書館、1934年、93-94頁、NCID AN00254866 
  • 無署名「今井林太郎先生略年譜・著作目録」『兵庫史学』第63号、兵庫史学会、1974年、3-7頁、NCID AN00210408 


脚注[編集]

  1. ^ a b 無署名 1974
  2. ^ 『官報』第380号、昭和3年4月7日、p.162.NDLJP:2956841/8
  3. ^ a b c 今井林太郎 1991
  4. ^ 『第三高等学校一覧 昭和6年4月起昭和7年3月止』〔第三高等学校〕、〔1932〕、(名簿)195頁。NDLJP:1275834/188 
  5. ^ 『東京帝国大学要覧 昭和6年度』東京帝国大学、1931年7月10日、350-351頁。NDLJP:1453455/191 
  6. ^ a b 今井林太郎 1950
  7. ^ 署名無し 1934
  8. ^ 『官報』第2210号、昭和9年5月17日、p.435
  9. ^ 『神戸経済大学一覧 自昭和17年度至昭和22年度』神戸経済大学、1948年6月30日、181頁。NDLJP:1711659/94 
  10. ^ 今井林太郎氏死去 神戸大名誉教授、日本古代・中世史 - 47news、2003年9月9日”. 2014年10月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月5日閲覧。