井山計一

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井山が考案したカクテル「雪国」

井山 計一(いやま けいいち、1926年4月23日 - 2021年5月10日)は、日本バーテンダー。世界的に知られるカクテル「雪国」の考案者として知られる。2018年にはカクテル「雪国」の誕生秘話と井山の半生を描いたドキュメンタリー映画『YUKIGUNI』が製作された[1]。2020年にはバーテンダーとして現代の名工を受賞している[1]

経歴[編集]

1926年、山形県酒田市に産まれる。山形県立酒田商業学校を卒業後、神奈川県横浜市東京芝浦電気軍需工場で働く[1][2][3]召集令状が届いたのは終戦の2日後であり、従軍はしていない[1][3]。戦後は叔父が経営するダンスホールでプロダンサーとして指導を行う[1]。そこの生徒であった女性と結婚して仙台市へ移住し、バーテンダー見習い募集の貼り紙を見て、これに応募し採用される[1]。その後、福島の駅前にあるキャバレーでマネージャー兼バーテンダーとして働いた後、1955年に酒田市に戻り、バー「ケルン」を開業する[1][2][3]。以後、2021年に没するまでバーテンダーを務めた[1][2][3]

1958年には創作カクテル「雪国」が壽屋(現・サントリー)主催の創作カクテルコンテストである第3回ノーメル賞でグランプリを獲得する[1][4]

1976年酒田大火後の影響で「ケルン」を移転する[1]

2002年、演歌歌手・大泉逸郎のシングル曲「雪の最上川」を作詞[5]

2016年、修行時代には身体を壊すほどの洋裁の内職で家計を支えた妻・キミ子と死別[6]

2018年には渡辺智史監督でカクテル「雪国」の誕生秘話と井山の半生を描いたドキュメンタリー映画『YUKIGUNI』が製作され、同年11月に山形県内で、翌2019年には東京都内で上映された[7][2]

2021年2月に腰部の圧迫骨折で入院し、5月10日に老衰のため死去[8][9]。95歳没。葬儀では、遺族によって黒のベスト・蝶ネクタイのバーテンダーの衣装も棺に納められた。その日は5月13日、「カクテルの日」であったという[10]

2022年5月10日に東京都内で映画『YUKIGUNI』の追悼上映が行われた[6]。また、2022年5月9日から同年5月16日の間は「YUKIGUNI NIGHT」と名付けられた井山の追悼イベントが日本全国43のバーで開催され、それぞれにアレンジされた「雪国」が提供された[6]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 94歳現役バーテンダーが明かす、伝説のカクテル「雪国」誕生の真相とは?”. ダイヤモンド・オンライン. 2021年7月14日閲覧。
  2. ^ a b c d 国内最高齢バーテンダー 井山 計一 さん”. やまがたコミュニティ新聞オンライン (2018年9月28日). 2021年7月14日閲覧。
  3. ^ a b c d バーテンダー・井山計一さん 「今日が大事」言葉に重み”. ZAKZAK (2021年5月24日). 2021年7月14日閲覧。
  4. ^ 福西英三『カクテル教室』保育社、1996年、93頁。ISBN 978-4586508877 
  5. ^ 日本最高齢、93歳の現役バーテンダーが語る!伝説のカクテル『雪国』誕生ものがたり”. Rettyグルメニュース (2019年8月5日). 2023年4月17日閲覧。
  6. ^ a b c カクテル「雪国」生んだ亡き「酒は飲まない日本一幸せなバーテンダー」、映画で「酔える」半生”. 読売新聞オンライン (2022年5月13日). 2022年9月9日閲覧。
  7. ^ 日本最高齢 92歳のバーテンダー井山計一。スタンダードカクテル「雪国」の誕生秘話と彼の半生を追ったドキュメンタリー『YUKIGUNI』公開!”. シネフィル (2018年12月13日). 2021年7月14日閲覧。
  8. ^ 現代の名工 井山計一さん死去 カクテル「雪国」生む”. NHK (2021年5月11日). 2021年7月14日閲覧。
  9. ^ 井山計一さん死去 バーテンダー”. 産経ニュース (2021年5月11日). 2021年7月14日閲覧。
  10. ^ [追悼抄]カクテル「雪国」会話に花…井山計一さん バーテンダー 5月10日、老衰で死去、95歳 : 社会 : ニュース”. 読売新聞オンライン (2021年7月14日). 2021年7月23日閲覧。