一勝地村農家6人殺害事件
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2020年10月) |
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
一勝地村農家6人殺害事件(いっしょうちむらのうか6にんさつがいじけん)とは、1946年8月29日に熊本県球磨郡一勝地村(現・球磨村)で発生した強盗殺人事件。
概要
[編集]1946年8月29日夕方、一勝地村内の一軒家が燃えているという通報が警察に入った。翌朝に実況見分を行い、完全に白骨化した一家6人の焼死体を発見した。当初は失火による事故死と思われたが、頭蓋骨が陥没しているのを発見したことで、一転して放火殺人事件となり捜査を開始した。
周辺の聞き込み捜査を開始したところ、隣村の村長が「一昨日、被害者宅に梨を買いに行った者がいる」との情報を得て、警察はその人物を聴取した。その人物によると「被害者宅に梨を買いに行った時、被害者から「お宅の集落の朝鮮人も梨を買いに来たが、金が無いからと腕時計を置いていった」と言われた」と証言した。そこで、その朝鮮人の家に行くと作業服が干してあり、それには血痕らしきものが付着していた。容疑が深まったため、家にいた朝鮮人2人を逮捕した。取り調べの結果、もう1人犯人がおり、近々朝鮮に帰る予定であることを自白した。熊本県警察部は、朝鮮語を話せる巡査に犯人の追跡を厳命し、犯人は佐賀県鳥栖市で逮捕された。
犯人3人は戦時中、九州北部の炭鉱で働いていたが、終戦となり帰国することになった。ところが帰国費用がなかったので強盗を計画し、金がありそうな被害者宅に「帰りが遅くなったので泊めてほしい」という名目で一泊することになった。ところが、被害者一家から親切なもてなしを受けたため、さすがに良心の呵責を感じたのか、この夜は犯行を決行できなかった。翌日の夜、前日のお礼ということで酒を携えて被害者宅に乗り込み、家人が寝静まったのを見計らって、家族6人を殺害した後、たんすの中から15800円を盗み、証拠隠滅のため家に放火して逃走した。
一審の熊本地方裁判所八代支部は、犯人全員に死刑を言い渡した。その内2人は控訴し、二審の福岡高等裁判所で1人は一審同様死刑、もう1人に無期懲役を言い渡し、刑が確定した。
参考文献
[編集]- 『熊本県警察史 第2巻』(熊本県警察史編さん委員会編、1982年)