ヴィルヘルム (オルデンブルク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

ペーター・フリードリヒ・ヴィルヘルムPeter Friedrich Wilhelm von Oldenburg, 1754年1月3日オイティーン - 1823年7月2日プレーン)は、ドイツオルデンブルク公(在位:1785年 - 1815年)、後にオルデンブルク大公(在位:1815年 - 1823年)。精神を病んでいたため、その治世には従弟のペーター(1世)が摂政として統治を行った。

ホルシュタイン=ゴットルプ家リューベック領主司教フリードリヒ・アウグスト(1世)と、その妻でヘッセン=カッセル公子マクシミリアンの娘であるウルリーケ(1722年 - 1787年)の間の長男として生まれた。1769年1770年キール大学で学んだ後、1年間のグランドツアーに赴いた。ツアーに随行したのは哲学者ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーであり、シュトラスブルクに文豪ゲーテを訪ねた後、ヘルダーを同伴せずにパリブリュッセルロンドンを巡った。

1773年ツァールスコエ・セロー条約の取り決めに従って、リューベック司教座聖堂参事会により、デンマーク王子フレゼリクに代わってリューベック補佐司教に選任された。その年のうちに父がオルデンブルク公爵領を獲得し、ヴィルヘルムはその公世子(Erbprinz)となった。また、ヘッセン=ダルムシュタット公子ゲオルク・ヴィルヘルムの娘シャルロッテと婚約した。

しかし、ヴィルヘルムにはグランドツアーの頃から精神疾患の症状が現れていて、症状が重くなると、シャルロッテとの婚約も破棄された。オルデンブルク公爵領の相続権放棄は不可避となり、放棄宣言は1777年2月14日に行われた。しかし、フリードリヒ・アウグストの後を継いでオルデンブルクの統治者となった従弟ペーターはヴィルヘルムに対する配慮を見せ、オルデンブルク公爵の称号は1823年に亡くなるまでヴィルヘルムに属することになった。

ヴィルヘルムはシュテンドルフ荘園(Gut Stendorf)に隠棲後、デンマーク王クリスチャン7世によりプレーン城Schloss Plön)を居所として与えられ、この城を終の棲家とした。1823年に死去すると、リューベック大聖堂の新司教霊廟(Neuen Fürstbischöflichen Mausoleum)に葬られた。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

爵位・家督
先代:
フリードリヒ・アウグスト1世
オルデンブルク公
1785年 - 1815年
次代:
大公に昇格
先代:
公領から昇格
オルデンブルク大公
1815年 - 1823年
次代:
ペーター1世