ヴィック・ディアス

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ヴィック・ディアス
生年月日 (1932-07-29) 1932年7月29日
没年月日 (2006-09-15) 2006年9月15日(74歳没)
出生地 フィリピンの旗 フィリピンマニラ
死没地 フィリピンの旗 フィリピン・マニラ
職業 俳優
ジャンル 映画
活動期間 1957年 - 2001年
著名な家族 テディー・ディアス英語版
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ヴィック・ディアス(Vic Diaz 本名不明、1932年7月29日 - 2006年9月15日)はフィリピンの映画俳優で、監督作もある。

フィリピン群島政府英語版マニラ出身、没。尚、息子のテディー・ディアス英語版はロックバンド、ザ・ドーン英語版のギタリストである。

他のクレジット名義はスペル違いのヴィック・ディアス(Vic Dias)があり、VHSのジャケット等には片仮名でビック・ディアズと表記されることもあった。

経歴・人物[編集]

俳優としての特徴[編集]

映画俳優としては1950年から晩年の2001年まで活動し、悪役から強面を生かしての刑事や刑務所長役、ベトナム軍人役等、数多くの役柄を演じた。同時に舞台俳優としても活動し、『オテロ』や『王様と私』等の演目にも出演した。肥満体で、坊主頭かつスキンヘッドが印象的な風体とやや出気味な丸い目も特徴的である。また、個性的な風貌と演技スタイルからエクスプロイテーション映画に造詣の深いクェンティン・タランティーノがフィリピンのピーター・ローレと評している(インターネット・ムービー・データベースによる)。

映画デビューは1950年で、ハリウッドでも実績のある名匠監督であるオーストリア人のフリッツ・ラング監督、タイロン・パワー主演の戦争映画『アメリカ・ゲリラ・イン・フィリピン』(未ソフト化)で、日本軍の将軍役を演じたが、クレジットされなかった。その後、エディー・ロメロ監督作品を始めとする数多くの娯楽作品の脇役俳優として活躍し、TV作品にも出演した。

1950年代末からはフィリピンで撮影された外国映画や合作映画にも進出した。当時は『地獄の黙示録』(1979年)以降の1980年代程では無いが、コーネル・ワイルド監督の『ビーチレッド戦記』(1967年)やロバート・オルドリッチ監督の『燃える戦場』(1969年)等かなりの本数の戦争物やアクション映画が製作された。ディアスが出演した代表的なものにハリウッドのベテランであるジョン・クロムウェル監督、TVシリーズ『ベン・ケーシー』のヴィンセント・エドワーズ主演の『5番街を手術しろ!』(1959年/香港でもロケされた)やモンテ・ヘルマン監督、ジャック・ニコルスン脚本、出演の『自由への闘い』(1964年/未ソフト化)やバート・レイノルズ主演の『虐殺部隊』(1965年)と『黄金の銃弾』(1969年/未/TV放映)、ジャック・スターレット監督の『殴り込みライダー部隊』(1970年)、ジャック・ヒル監督の『残虐全裸女収容所』(1972年)、香港資本のベトナム戦争物『ヤング・ソルジャー/米海兵隊員・青春の記録』(1978年/未/ビデオ)等も含まれる。また、『サタンの謀略/生き地獄フィリピン戦線』(1973年/未/ビデオ)や黒人俳優のジム・ブラウンが製作総指揮の『パシフィック・インフェルノ』(1979年/未ソフト化)等の太平洋戦争が題材の作品では悪役の日本軍人を演じた。

1980年代からは多くのフィリピン俳優はイタリア映画へ出演したが、ディアスはブルーノ・マッテイ監督がヴィンセント・ドーン名義で撮った『ストライク・コマンドー2』(1988年/未/ビデオ)がある位で、共演陣も米国俳優のブレント・ハッフを始め、欧米人俳優がメインだった。

シリオ・H・サンティアゴ作品の脇役[編集]

1970年代からはエディー・ロメロと共にフィリピン産の疑似米国映画界を牽引したシリオ・H・サンティアゴ製作、監督作品にも10数本脇役として起用され、1990年代の中頃まで出演した。往年のハリウッド俳優であるジョン・キャラディーン主演の『お色気吸血鬼』(1978年/未/ビデオ)のコミカルな味の吸血鬼の手下から『アマゾネス刑事/死の標的』(1986年/未/ビデオ)のハワイの日系人、『バトル・プリズン/女囚肉弾』(1994年/未/ビデオ)の残忍な刑務所長まで色々演じた。また、ベトナム戦争物『アイ・オブ・ザ・イーグル』(1987年/未/ビデオ)では襲撃される列車に乗っていた為に殺される北ベトナム軍の将校役で出演している。この場面は後年の『特攻部隊/フルメタル・ソルジャー』(1988年/未/ビデオ)と『ラン・メイ/ベトナムの熱い日(ダーティ・コマンドー/地獄の要塞)』(1989年/未/ビデオ/TV放映)にも流用されている。

監督とスタッフとして[編集]

映画監督としては『ママ』(1987年/未ソフト化)を手掛けており、自ら脇役出演もした。また、『バイオレント・ゾーン/野獣の標的』(1988年/未/ビデオ)のジョン・ガーウッド監督による米国映画『クラックダウン』(1988年/未ソフト化)では製作管理(プロダクション・マネージャー)を担当し、プロダクション・コーディネーターを務めた作品もある。

出演[編集]

外部リンク[編集]