ヴァスィリキーウ

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ヴァスィリキーウ
Василькíв
座標 : 北緯50度11分11秒 東経30度19分50秒 / 北緯50.18639度 東経30.33056度 / 50.18639; 30.33056
歴史
建設 988年[1]
マグデブルク法 1586年
1796年
旧名 ヴァシリエフ
行政
ウクライナの旗 ウクライナ
  キエフ州の旗 キエフ州
 地区 ヴァスィリキーウ地区
 市 ヴァスィリキーウ
市長 Сабадаш Володимир Іванович
地理
面積  
  市域 21.03km2
人口
人口 (2012年現在)
  市域 36857[2]
その他
等時帯 東ヨーロッパ時間UTC+2
夏時間 東ヨーロッパ夏時間UTC+3
郵便番号 08600 - 08606
市外局番 +380-45 71
位置図
ヴァスィリキーウの位置
公式ウェブサイト : http://vasylkivrada.gov.ua/

ヴァスィリキーウウクライナ語: Василькíв)はウクライナキエフ州の市である。ステューフナ川に面し、ヴァスィリキーウ地区(ru)の中に位置するが、同地区には含まれない独立市である。人口は2001年ウクライナ国勢調査の時点で39700人だった。

歴史[編集]

年代記における最初の言及は、988年ウラジーミル1世がキエフ南方の遊牧民に対する要塞として建設した、という主旨の記述である。当時の名はヴァシリエフであり、それはウラジーミル1世の聖名・ヴァシリーにちなんで命名されたものだった。ヴァシリエフには木造りの教会が建てられ、ステューフナ川の水路を含む交通路でルーシとヨーロッパとをつないでいた。なお付近には大蛇の長城跡が見られる。1157年ユーリー・ドルゴルーキーの子のヴァシリコ(ru)の統治下において、現在の名に改名された。1240年にはモンゴルのルーシ侵攻によって甚大な被害を被った。上記の教会はモンゴル軍によって破壊された。

1586年マクデブルク法を採用した。1658年にはヴァスィリキーウ付近で、ロシア・ツァーリ国ヴォエヴォダであるユーリー・バリャティンスキー(ru)が、コンスタンティン(イヴァン・ヴィホーウシキーの弟)の軍に敗れている。

1796年、ヴァスィリキーウは市となった。1765年に、上記の破壊された教会の跡地にアントニー・フェオドシー大聖堂(ru)が、また1792年にはムィコラーイ教会(uk)が建設された。1826年には、帝政ロシアに対するチェルニーヒウ連隊の蜂起(ru)が起こった。

市の北端には飛行場があり、ソビエト連邦期には41機のMiG-25から成る戦闘機部隊が置かれていた。ウクライナの独立後は、キエフ南方の防衛のために10機のMiG-29から成る航空団が配置されている。また、市内にはパン製品のコンビナートがある。

ゆかりの著名人[編集]

出典[編集]

  1. ^ Облікова картка м. Василькова на сайті Верховної Ради України
  2. ^ Чисельність населення — щомісячна статистика Головне управління статистики у Київській області

参考文献[編集]

  • Васильков, город Киевской губернии // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона: В 86 томах (82 т. и 4 доп.). — СПб., 1890—1907.

外部リンク[編集]